パソコンの初期設定を頼まれてwindows8に触ったら、あまりの使いにくさに戦慄したがちゃまにあですどーもこんばんは。
新しいパソコンは欲しい。けど8はちょっと遠慮しておきたい。
慣れればさくっと使えるようになるのかなあ。うーむ。
疲れているときにしてもらって嬉しいことってなんだろう? - がちゃまにあ日報
うちのひとが疲れているから何かしてあげたいなーという記事を書きました。
色々考えていたのに、結局私が風邪で撃沈すると言うオチ。
これだから病弱は嫌なんだ・・・!!
猫様を隔離しておいた甲斐もあってか、うちの人は私の留守中爆睡してたようです。
帰ってくる頃にはすっかり元気でした。
何もできなかったけど、復活してくれたので良し。
今日は先日ふらりと立ち寄った本屋で見つけた本の話。
こういうオカルトを試すの好きだわー(笑)
「願い事手帖」ってなんぞや?
「願い事手帖」というものがある。
私はこの手のオカルト(引き寄せとかマーフィーとか)が大好きなので前から知っていたのだが、先日覗いた本屋で文庫本が並んでいるのを見るまですっかり忘れていた。
これがその本である。
「願いごと手帖」のつくり方 書くだけで運と幸せが集まる (PHP文庫)
- 作者: ももせいづみ
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2012/10/03
- メディア: 文庫
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恐らく、はてなーの方々はあまり手に取らない部類なんじゃないかと思う(笑)
根拠の全くない、ものすごく胡散臭い内容ではあるのだが、私は好きで結構読んでいる。
とはいえ、完全に信じているかどうかと言われればそうでもなく、1/4くらいは疑いを持っているというのが正直なところだ*1。
そもそも、この手のものに対して「信じる」「疑う」などと表現すること自体が過剰なのかもしれない。
実際のスタンスとしては「本当だったら面白い」くらいのもので、ものすごく軽い。
私にとっては朝の星占いと同じレベルのものである。
「願い事手帖」がどういうものかは、このまとめを読んでいただければわかるかと思う。
願いが叶いすぎる 簡単「願いごと手帖」の作り方 - NAVER まとめ
作法は色々あるが、ざっくり言えば「叶って欲しいことをノートに書いておけ」ということである。
「To do」や「目標」ではなく、あくまで棚ぼた式に手に入るような「願い事」という形で書くことが肝要だ。
「こんなので叶うわけがない!」と理性が反抗してくるが、これは仕方のないことだ。
「いい結果」というのは「努力しなければ得られない」と刷り込まれているからである。
だがそうやって得られる結果は、この本の中では「目標」という扱いであり、決して「願い事」ではない*2。
「願い事」は本人の努力や意志とは関係なく叶うのである。
30個書けない人こそ続けた方がいい
まとめに「まずは30個願い事を書こう」と書いてあるのでやってみることにした。
願い事を書くノートだが、自分の気に入ったものを使うことと本には書いてあった。
どうやら書くことに「楽しさ」という価値を与えるのが大切なようである。
早速ノートを買って試してみた。
これは是非皆さんにもやっていただきたいのだが、願い事を30個書くというのはなかなか難しい。
「目標」や「To do」ならいくらでも書けるのだ。
だが「願い事」となると、途端に筆が進まなくなる。
「年が明けたので生活習慣と気力について考えてみる - がちゃまにあ日報」でも書いたように「やるべきこと」を優先し、「やりたいこと」を蔑ろにしてきたせいなのかもしれない。
どんな小さなことでもいいし、他の人のことでもいいというので、がんばってひねり出している。
このように願いを書くのに気合がいるということは、自分がどうなれば「幸せ」なのかがわからない、ということである。
考えてみれば、幼い頃からそうだった。
七夕の短冊に、「○○が欲しい」と無邪気に書けなかった。
誕生日もクリスマスも、「これは高いかなあ」と子どもらしくないことを考えて、本当に欲しいものは言わなかった。
もちろん今もそのままで、「2番手以下で妥協する」という癖がしっかり染み付いてしまっている。
これはすなわち、「自分の最高の幸せを望めない」ということに他ならない。
幸せになりたいのに、幸せを望めない。
「私なんかにふさわしくない」と思ってしまう。
叶うかどうかはさておき、「願い事手帖」はこういった自尊心の歪みを解消するのにいいツールかもしれない。
自分しか見ないノートに、好きなだけ「こうなって欲しい」と書く。
些細なことも現実離れしたことも、とにかく何でも、だ。
最初は違和感があるだろうが、続けていけば実生活でも自分の希望を伝えることができるようになるのではないだろうか。
「願い事手帖」のいいところはもう1つある。
それは「幸せの種は案外たくさん落ちている」ことに気付けるということである。
日常に起きる些細な出来事にも、幸せは見出せる。
「いいことが起きない」わけではなく、「出来事」を「いいこと」と気付けない、幸せに対する感度の鈍さが問題なのではないだろうか。
「願い事手帖」を実践することで、このあたりの感覚も改善されるのではないかと期待している。
「幸せ探し」が上手になれる気がするのだ。
最終的に「願い事手帖」なるものを信じるか信じないかはあなた次第である。
無駄と一蹴するのも良いが、遊びとして取り組んでもいいと思う。
何せ、ノートに書くだけなのだから。