【所感】好きな人が転勤になっちゃた話


ど平日のアルコールはうまい!
めったにない平日のフリーな時間を堪能しているがちゃまにあですどーもこんばんは。
写真のラドラー、なかなかうまいっす。
ほんのりホップ、でも甘い。
もうちょっとキリッとしててもいいかなーと思わなくもないけど。

今日はまた下世話なテーマですな(笑)
まあ酔った勢いの与太話とでも思っていただければ幸いです。
あ、「切ない」とかそういうのじゃないから!

わああ何かその通りの人だし!!

昔こんな記事を書きました。

gachamania.hatenablog.com

ブログデザイン変更したので久々に色々いじってたら発見。
こんなの書いたのすっかり忘れてたんだけど、
 
好きな人がまさにこの記事通りの相手で焦ったよね
 

はてなブログって予言の書機能でも付いてるんですか?(笑)*1

たぶん私の人生で一番何でも話してる相手じゃなかろうか。
真面目なこともくだらんことも、愚痴も言ったし挙句はイライラの矛先をちょっと向けてみたりもしたかもしれない(笑)
それでもちゃんと相手してくれるから偉いよなあ。

価値観も趣味も、驚くほど一致しない。
でも何でかわからないけど、彼は他の人には見破られないような私の感情の変動を器用に拾う。
そして器用に私から話を聞き出す。何でだ。
逆に楽しいことや面白いことがあれば、私の方から彼に話しをしたり。
ゲームの話とか、楽しんでくれてるのかは若干怪しいけど(笑)

有形と無形

そんな彼が転勤になりました。
もちろんショック…だけど、割に悲観していない?あれれ?

あんまり上手く言えないんだけど、形があるものは強固で密なんだけど消失もする、
逆に枠を作らなければ不安定では曖昧ではあるけれどフレキシブルで永続的なんじゃないかと思って。

形を作るってことは限定するってことなんだよな。枠にはまることで曖昧さを回避する。
だからミニマリストが定義されないまま語られるのはモヤモヤするんですよね。
定義のないものにはなれない、すべての存在が当てはまって区別できないから。
極論ゴミ屋敷とかに住んでても「ミニマリストです」っていえばミニマリストとして認めざるを得ないことになると思うんだよな。
例えば子供に「りんご」を教えようとしたら、「赤くて丸くて甘酸っぱい果物」とか言ったりするやん?
名前をつけて、そのものとして認識する以上、ある程度の定義がないと成立し得ないはず。

あ、話が逸れた。戻る。
まあそんなわけで、彼とは形としてふわふわした関係のままであるが故に、この先なんでもありだなーという感じがしてる。
どちらかがそう望まない限りは壊れる可能性がないわけだし。
形がない、線引きしないってのは逆に自然な感じで関係を築けるもんだなーと。

とはいえ、
 
恋愛関係welcomeですけどね(`・ω・´)
 

話の流れ無視にも程がある(笑)
でも形あるものの安定感はいいよねー。
不自由さに守られた安定、って書くと反発されそうだけど…
彼氏?いやもうどうせなら旦那がいいよね(笑)
依存より共闘、互いが能力を発揮していけるのがいい。


また話逸れるけど(酔っ払いだからまとまりがないのは仕方ないということで)、
不自由とか束縛ってのは(病的じゃない奴ね)そんなに嫌かな?
私は結構色々なものを与えてくれると思うんだよなー。
例えば「社畜」なんていってサラリーマンが軽んじられる場合があるけど、
サラリーマンにならなきゃ(社員として所属しなければ)経験できないこともある。
例えば私は今日飲んだラドラーを作ることはできない。
「工場で働く」という不自由さと引き換えにその権限を得られる(やりたいかどうかは別として)。
束縛される、だけど機会や権限も与えられる、働くってのはそんなもんなんじゃないかと。
逆に「自由だ」と自称してる人たちこそ固定観念で機会損失してるかもよ?
機会損失ってのは自分がどういう状況にあるかに起因するのではなく、「やれる環境でやらない」ことを選択するから起きるんじゃないですかね。
無論、労働環境が劣悪とかそういうのは糾弾してもいいと思うんだけど、それは雇用者を蔑むべきだよね。

さ、本題に戻ります。

さよならとは言ってない

最後に会った時、互いに別れの挨拶をなかなか切り出せなかった。
瞬間を無理やり繋げるようなあの会話の感じ、本当に独特だなー。
何話したかは正直記憶にないけど(笑)、「まあ、なんとかなるよ」と背中を叩かれたのは覚えている。
一体何に対して「なんとかなる」なんだろうな。わからんまんまだ。
でもそのときは「せやな、大丈夫やな」と叩き返して、「じゃあまたね」と言って別れた。


久々に連絡取ってみようかな。
酔った勢いで(笑)

*1:験担ぎで記事訂正してみることにする