【自戒】今年の抱負は「御託はいいからさっさと動け!」

今週のお題「2017年にやりたいこと」

あけましておめでとうございます。
本年もちまちまと更新していきますのでお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

長期休暇も今日で終わり。
明日から仕事、しかもトップギアに入れないといけない状況である。
憂鬱とまでは行かないが、少々気が重い。
こんな気分で最終日を過ごすのも勿体無いし、自分に檄を飛ばす意味でも抱負などを語っておこうかなあと思う。

「あれ、自分同じことやってないか?」

気付いたのは年が明けてからである。
初詣を終え、初売りのイオンモールをふらふらと回っていた時に、ふと「ダメな理由探してるの自分も一緒なんじゃ?」と思った。

私は自分自身の現状に対してはこれといって不満を持っていないのだが、自分を正当化して同調を求めてくるような愚痴を聞くのだけは本当に不快で苦痛だった。
「上司が悪い、会社が悪い、こんなことできない、面倒臭い」要旨は主にこの4点であるが、それを現状の忙しさ、待遇などを理由にひたすら訴え続けてくる。
打ち合わせ中でも関係なく突っ込んでくるからタチが悪い(もちろんスルーだが)。
「じゃあ〜したらどうですか?」と言えば「そうだけど〜だから無理」と返ってくるし、「できないなら私がやるので」と言えば「いや、いいです」と来る。一体どうしろと?
恐らく立場の近い私に自分がそう思うことを肯定してほしい*1だけなのだろうが、それをすると仲間意識を持たれ、延々と愚痴を聞く羽目になるのが目に見えている。
作業中の人の手を止めさせてまで自分の話をするような人だ。極力関わりたくはない。*2

そんな状況にさらされて嫌な思いをしているから、自分は「ダメな理由探し」をしないようにと思っていたのだが、しっかりやってしまっているのではないか。
そう気付いたのである。

「善」の体で来るものを拒否するのは難しい

とはいえ、自分が何かができないことを他責にするようなことは、さすがにはあまりない。
不快な気分になるのでグチグチ言ってはいるが、「この人のせいで…」とは思っていないのだ*3
それは誰かを悪者にするのではなく、状況分析の結果として現れるのである。

無論、状況を把握し、行動の是非をジャッジすることは重要だ。
何の策も勝算もないまま動くのは冒険ではなく単なる無謀。まさに読んで字の如しである。
ただ、「状況が悪いから」と言っていつまでも行動しないのはよろしくない。
いつ来るかわからない機を待ち続けるより、覚悟を決めて動いた方が良い場合は往往にしてあるのだ。それは自分の経験からも理解している。
それでも待ってしまうのは、それが状況分析結果という一見「正しいもの」の顔をしているからである。

正しさや善を装って来るものは、拒否することが難しい。
プレゼントなどを考えてもらうとわかりやすいかと思うが、たとえそれが自分の好みではなくても、プレゼントとして提示された以上は「ありがたい」という態度で受け取ることが多い*4
自分のいらないものを寄付するなどもこの部類だろうか。自分がいらないものは他者にとってもいらないものとなる可能性が高いのだが、受け取る側は非常に断りにくい(ちなみに断ると送り手が激昂することが多いようである。受け取らないのは傲慢だと。どっちがやねん。)。

社会的な「善悪」(一般的な善悪、ここではさらに価値の優劣という意味も含めて)と個人の「善悪」が一致しないことはままある。
誰かが「常識的に考えて」善だとしたものは、誰かにとっては「悪」だったりする。
「良かれと思ってしてあげたのに」なんて言葉を聞くが、物事に対する解釈の仕方までを相手に強制するのはご法度である。
それは相手にとっては「良くないこと」であるという事実を曲げてはいけない。*5

したがって、本来なら必要ないものは拒絶していいはずなのだが、大方の人は善を拒否すると罪悪感が湧くようになっている。
悪意は拒絶できるが、善意はそれが難しい。
たとえそれが自分の心の中で起こっていることであっても、その傾向は変わらない。

奥にあるのは「恐怖」

話が逸れてしまったので戻そう。
私の中には「もっともらしい理由を持ち出して、行動しないことを肯定する」という思いグセがあるようだ。
一見すると正解のような理由を持ち出して、自分を納得させている。

「時間がない」「体調が悪い」「気候が適さない」「お金がない」このあたりは誰もがよく使う逃げ理由ではないかと思う。
別に逃げてはいけないと説くつもりはない。どころか、処世術として「逃げ」は必須だ。
全てに対して「気に入らないから嫌」なんて言っていては、円滑な人間関係は成り立たない。使い方次第である。*6

だが、それが自分に対してだと話は違う。
処世術など必要ないのに、自分に嘘をつくのはなぜ?
それは恐らく、行動すること(もしくは行動後の変化)に対して恐怖心があるからではないだろうか。

それが肯定的なものであれ、変化は負荷になる。
私は割と変化に柔軟な部類だとは思うが、それでも変化の最中は精神的に疲れる。
大変な上に失敗するリスクだってあるのだ、多少の不満があっても変化よりはまし。そういう考え方もあるだろう。
「変化は苦痛の元凶、怖い」臆病な自分がそう感じても何ら不思議ではない。

ここで認識しなければならないのは、変化しなければ失い続けるということである。
それは体力であったり、チャンスであったり、残された時間であったり。
自分が今のままであり続けられるという誤認が、この元凶ではないかと思う。

時間が流れ続ける以上、「今のまま」などありえないのだ。
時間経過による強制的な変化にどう対応するかで人生を終えるときの満足度が大きく変わると思うのだが、どうだろう。

その観点から言えば、極力行動の制限になるようなことはない方がよい。
常識の適用も、状況分析からの「待ち」の判断も、度が過ぎれば毒である。
そして自分には大いに過剰になる傾向がある。

「御託はいいからさっさと動け」

そんなわけで、今年の抱負は「御託はいいからさっさと動け」とした。
自分の中の臆病な側面ももちろん否定はしないが、心の中で言い訳する自分に対し、半ばキレ気味に「やかましい!御託はいいからさっさと動けや!」と煽るくらいの度胸も必要だと思うのだ。
この言を逐一思い出すことによって達成できたことが、すでにいくつもある。

例えばランニング。
ずっと風邪気味だし、冷たい空気で気管支炎気味になると見て始めなかったのだが、「とりあえず行けや」と却下してみた(体調に関わることなので真似するのはあまりオススメしない)。
始めると確かに多少気管のあたりがもやもやするものの、大事には至っていない。
恐らく続けるうちに耐性がつき、軽くなっていくのではないかと予想している。
長距離ではなく緩急つけた短距離のランにしているので、心的な負担はほぼ0だ。
ちまちまと続けて行けば、いずれは大きな差になるのではないかと考えている。

こんな感じで、去年から手付かずだったことを順番に倒し始めている。
掃除・片付け・DIY・手続き諸々といった生活の雑務から、やりたいと思ったのにやっていない趣味など、適用範囲は広い。
すでに成果も出ていることだし、今年はこの方針でいきたいと思う。
とはいえ何より優先なのは「毎日楽しく生きること」。そのために変化を受け入れるのだから。
行動が苦行になるようなら、当然見直さないといけない。
試行錯誤しつつ、今年もやっていこうと思う。

*1:要は私をはけ口にしたいだけなんだろう。もっと心的距離の近い人なら考えるが、まずそうなることはない。

*2:明日から仕事が始まるが、1番憂鬱なのがこの人に会うことである。

*3:むしろそれを理由においしいもの食べたり欲しいもの買ったり。

*4:その後はメルカリなどで売ってしまっていたりするようだが。クリスマス怖い。

*5:「良くないこと」であっても送ってくれた相手の気持ちを考えて「ありがとう」と言う、それが処世術。クリスマス怖い。

*6:この観点から言えば、冒頭の愚痴を言う人に対する私の態度は賢いとは言い難い。「アホなのはわかってる、だが嫌いなもんは嫌いじゃ!でもある程度の関係は維持しないと…」となってストレスが溜まる。

【混んでます】2017年 椿大神社 初詣状況

まさに今、初詣の列に並んでいる。
車は停められたものの、境内の鳥居すらくぐれない状況である。
こんな混雑今日だけかもしれないけど、参拝来る方に情報展開しておきます。

駐車場は迷わず臨時駐車場へ!

平日なら境内に付近まで攻めてもいいが、初詣時期はやめたほうがいい。
駐車場難民になること請け合いである。
私は去年何も知らずに突っ込んで、30分以上渋滞に巻き込まれてしまった。
今年は別ルートで行って停車まではスムーズに進めたので、ぜひそうすることをオススメする。

赤丸が混んでいるところ。どれだけ待つのか想像もつかない。
去年が30分の渋滞で済んだのは、臨時駐車場に飛び込めたからである。
今年は青丸のあたりの臨時駐車場に停めた。
道もスムーズ、駐車場面積もそこそこあるので、良い判断だったと思う。
境内までは徒歩で20分程度。
ただし坂道なので、お子さんやご年輩の方はもっと余裕を見たほうがいいだろう。

トイレなど

椿大神社の最寄りのコンビニはファミリーマート
境内付近には椿会館というものが2つあり、そこには綺麗なトイレがある。
初詣時期には出店も出ているし、多少の休憩はそこでできるのではないかと思う。

参拝待ち時間

並んでから15分ほど経過したが、ようやく本殿が見えてきた。

伊勢神宮に比べれば、相当サクサク進んでいる印象。
7・8年前だと思うが、伊勢神宮に初詣に行ったものの、本殿下の階段のあまりの混み具合に参拝を諦めて帰ったことがある。
あれに比べれば大したことはない。
このペースなら、椿大神社は30分〜45分待ちくらいかと読んでいる。

とりあえず車を停めるのが最優先

スムーズに参拝しようと思ったら、境内付近まで攻めずに車から降りる、これに尽きる。
歩く労をかけることを決断できるかどうかが分かれ目かと思う。

「ファビュラス」とは

叶姉妹コミケ参戦という話。
なんか一連の発言やら行動やら見てて、一気に好きになってしまった。

ところでこの「ファビュラス」という単語、浅識な私は意味を知らなかった。

ejje.weblio.jp

"fabulous"と綴り、"fable"の形容詞形とのこと。
意味は「とても素晴らしい」「伝説の」などなど。
ああ、確かにあのお姉様はファビュラスだなあと納得。
そんなお姉様に全力でジョジョを勧めたという(しかもみんなが納得するような入りやすい方法を考えて勧めていた)美香さんもファビュラス。

コミケではみんなが道を開けていたとの話を聞いて、そうさせるその優雅さというのはすごいと思った。
ただ着飾るだけなら誰でもできるが、やはり持っているオーラが違うのだろう。
無論、そういう丁重な対応をしたコミケ参加者の方々もファビュラスである。
芸能人のニュースは不倫や離婚を追うよりも、こういう嬉しくなるようなものをどんどんやって欲しいなあと思う。

新年は強制的に「変化」を感じさせてくれるいい機会だ

今週のお題「2017年にやりたいこと」

2016年も残りわずか。
この時期になると「今年の振り返り」「来年の抱負」のような記事がよく見られる。
書いている人の状況はもちろんそれぞれ違うのだが、共通しているのが「未来に対して肯定的」ということである。

顧みるのは変化するため。
完璧にできなくても、少しずつ変化していけば気付けば思いの外遠くまで進んでいるものだ。
新年はそういう「変化」のきっかけをくれる。

変化しようという気概のある文章はいい。
もちろん実態はどうかはわからないが、文章から伝わる熱意に触発されるのだ。
仕事の都合上、不満を棚ぼたが解消してくれることをただ待ち続けるような人と関わることを避けきれず、意思がだいぶ削がれてしまった。*1
「できない(得られない)ままでいること」を否定はしないが、その状況に抗おうとしない人に愚痴を聞かされるのが常態化するのは、心底御免被りたいものである。
そんなわけで憂鬱な感覚になってしまったのだが、この時期のブログはそれを一掃してくれるような希望に満ちた言葉をいたるところで見られて、読むのが楽しい。

年が明けてやり始めても、三日坊主になってしまうこともあるだろう。
人間には恒常性維持の傾向があるから、むしろその方が多いのかもしれない。
だが、始めただけでも立派に一歩前進している。止まることがあっても少しずつ進めばいいのだ。

さて、今年の自分はどうだっただろう。
嬉しいことも楽しいことも、腹を立てたことも悲しくなったこともあった。
そこから何を見出して、どうやって次に繋げればいいだろう。
ブログは人のためだけに書くものではないが、自分が何か行動したことを記事にして、それが誰かのきっかけになれば素晴らしいことだと思うし、来年はそういうスタンスで行きたいと思っている。
ただそれをやるためには自分の書き方を変化させないといけないかもしれない。
もうちょっと脳内の整理と行動の仕組化が必要だなーと思う、年末の午後である。

*1:極力避けたのだが、避ければ避けるほど寄ってくる、あの性質は一体何なんだろう。かといって肯定して仲間だと思われることはもっと避けたい。難儀だ。

【所感】ぼやけたイメージに輪郭を持たせないと行動できない

今日もちょっとだけ早起き。
そういえば自分はそもそも朝型だったのだが、どういうわけか今は早起きに苦手意識を持っている。何があった。
ともあれ、このまま習慣化してくれると色々好都合。年内はこのまま行きたいところである。

昨日の記事でやりたいことが色々あるということを書いたのだが、やりたいと思っていても、それを明確にイメージできないとうやむやになってしまうことが多い。
イメージの方法は人によって色々だろう。
私は字面から想像するだけではダメで、完成したものを絵として頭に落とし込まないと動き出せないようだ。
そういう意味で、色々なことをすぐ検索できるような世界になったのはとてもありがたいなあと感じている。
自分の意識さえうまく持っていけば、かなりのことを経験できるはず。

そんなわけで、昼休みはスマホを凝視する日々である。
昨日見つけたのはこの辺り。
興味のある分野ごとにまとめておきたいなあ。

minixfood.blog46.fc2.com
miniatureflorist.blog.fc2.com

では、仕事納め行ってきます。

【所感】やってみたいことがありすぎる

おはようございます。

仕事も残り2日。
とはいえ最終日なんてバタバタして終わるに決まっているので、実質今日が終わりみたいなものだ。

ここ数週間割と過密気味だったが、それに比例するようにやって見たいことがわんさか出てきている。
暇な時は時間持て余すのに、この差はなんだろう。

「やってみたい、でも忙しい」とスルーしていても、その気持ちは心のどこかにずっと引っかかっている。
忘れても実は消えていないのだということに最近気がついた。
浮かんできた欲求は解消されるまでずっと残る。
それがたまると、特別嫌なことがないにもかかわらず何ともすっきりしないという心持ちになるらしい(あくまで自分の場合だが)。

そんなわけで、極力時間を作って色々なことをやっていこうという所存である。
年が変わってからと言わず、年内、今からだ。
時間だけは失ったら戻らないのだから。

さて、今日も1日がんばりますかね。

【所感】クリスマスイブの過ごし方

今日はクリスマスイブ。
出かければ幸せそうなカップルや家族連れの姿ばかり。
ぼっち的にはアウェー感が強くなる日である。

…というのは、我ながら半ば被害妄想かなあと思う。
誰かからクリスマスプレゼントをもらったり、ディナーに行くことは確かにないが、世の中の全ての人がそんな過ごし方をしているわけではない。
むしろそうでない人の方が多いくらいではないだろうか。
そしてその過ごし方は、決して「負け」ではない。

クリスマスイブだろうが何だろうが、今の自分の状況における最大のメリットを活かす方向で過ごしたらいいのではないかと思う。
無い物ねだりばかりするのは辛い。
(勿論、どうしても欲しいものなら得るように動けばいい。)
諦めではなくて、手元にある幸せをおろそかにしないということが大事なのではないかと思うのだ。

そんなわけで、今日も平常運行、釣りとゲームと家事で過ごしてやろうと考えている。
ただ、クリスマスに乗っかってちょっと高めの美味しいケーキだけは買いに行くつもりだ。
どんな状況であれ、イベントなんか楽しんでしまえば「勝ち」である。*1
今日も楽しく行こう!

追伸:
サンタさん、クリスマスプレゼントにPS4が欲しいです

*1:「勝ち」「負け」なんて表現をしているが、実際はそんなに張り合うつもりはない。自分がいわゆる「クリスマスデート」でイメージされるような過ごし方したいかといえばそんなことはないし。ただ、FBの「キラキラは正義」な感じには多少立ち向かいたいかもしれない(笑)

【所感】LINEグループを抜けて非常にすっきりした話&「ジブン手帳」がすごくいい

さて、久々のブログである。
あまりに間が空いたので、「書かない」が「書けない」になってしまった。
元々文章が上手いわけでもないのに、これではいかん。
ということで、リハビリがてら最近思っていることなどを書こうかと思う。
オチも結論もないので悪しからず。

LINEグループを抜けて非常にすっきりした話

他の友達が気悪くするかなーと思って、元彼がいるLINEグループにそのまま入っていた。
グループ会話なんて数ヶ月に1回程度の頻度なのだが、それでも元彼が視界に入るのは非常に鬱陶しい。
とはいえ、別に元彼に対して怒っているわけではない。
ただただ嫌い、それだけだ。
別れたこと自体はどうでもいい。それどころか、本当に心の底から別れてよかったと思っている。
「好きな人ができたから出て行く」と無理矢理同棲解消して浮気相手(しかも既婚)の家に転がり込むような男など、長い目で見ずともどう考えても信用できないし気持ちが悪い。

…やっぱり怒っているのだろうか、私は。よくわからん。


いずれにせよ関わるメリットなど微塵もない。
気が削がれるような相手は、すっぱり縁を切ってしまった方がいい。
こんなことを言うと「冷たい」とか言われそうだが、なぜ「拒絶される苦痛」が「嫌いな人を我慢して受け入れる苦痛」に対して優位性を持つのかがわからない。
もちろん差別のような理不尽な拒絶に対しては多少そういうスタンスを取るべきなのかもしれないが、パーソナルな人間関係においては「嫌い」や「不快」を表現しても良いはずである。
にもかかわらずそれが否定的に取られるのは、「人に優しくしましょう」というふわっとした倫理観がベースとなっているように思う。
どうして自分を不当に扱う人間に対して優しくしなければならないのか。
嫌なことをされても笑顔で飲み込めというのか。
果たしてそれはまともな感覚か?

このグループを抜けてから非常に気持ちが軽くなった。
些細な気がかりは、想像以上に精神面に影を落とすらしい。
年内に決着をつけて本当に良かったなーと思う次第である。

「ジブン手帳」がすごくいい

ツイッターで公式さんから勧められたのをきっかけに、仕事で「ジブン手帳BIZ」を使っている。
これがものすごく私に合っていたようで、何の苦もなく使いこなせている。
あまりによかったから、プライベートもジブン手帳にした。
予定を書くと言うよりは日記用になっているが、タスク管理もできてとてもいい。
フリクションと相性が悪い*1「トモエリバー」だけがネックだったが、今のところそんなに気になってはいない。
私には1日1ページは少々重かったらしいと、ほぼ日、EDiTを使って気がついた。
まだカスタマイズに手を出せていないので、ちまちまとやっていこうと思っている。
ジブン手帳、いいぞ。

*1:文字を消すと紙がガタガタに。裏の文字が消えることもある。