自分の経験を書くことが誰かの幸せに繋がるかもしれない

呪詛のような記事を書いた。

何かについて検索をかけると、よくわからない(論拠が明示されていない上、体験すらしていない)記事が上位に来ることが多い故の所業である。
私が読みたいのはもっと個人的な経験や科学で裏付けされたまともなデータなのだが、それを阻害するサイトが多い。
n数とか、判断基準とか、これくらいのデータ*1を揃えてもらえると買おうかなという気になる。

なぜ肝斑を検索しているかと言えば、私にそれっぽいシミができているからである。辛い。
まず4週間なら試してみようか…。


個人ブログが企業を超えるデータを出すのは難しい。同じフィールドで張り合うというのはどう考えたって分が悪いのだ。
だったら逆に「個人にしか書けないこと」を書けばいいというのが最近の私の思いである。

個人にしか書けないことがある

インターネットというフィールドでは、企業サイトも個人サイトも(一応)分け隔てなく扱われる*2
もしPVをあげたいと言うのなら、「競争の仕方」を考えることは避けて通れない。

企業が個人よりも精度の高いデータを出すことに長けているのは当然のことである。
では、企業のウィークポイントは何か?
それは「主観的なデータが出せないこと」ではないだろうか。

あくまで「自分の視点」で何かを評価する。
それは単に感想を述べると言うことではなく、自分が取ったデータはこうだった*3、だから自分はこう判断するということをわかりやすく伝える。
そして、最終判断は読者に任せる。

恐らく、やることはいわゆる「仕事」と変わりがない(だから仕事を辞めて安易にプロブロガーやアフィリエイターになるという判断は怖い)。
誰かに何かを伝えて動かそうと思ったら、わかりやすいようなデータを熱量を込めて論じるしかない。
その「熱量を込める」ことができるのが、個人でやる上でのアドバンテージなんだと思う。

自分の経験を書くことが誰かの幸せに繋がるかもしれない

「理想のブログ論」とやらを声高に叫ぶ必要はないのは承知の上だが、それでも言わせてもらおう。
個人のブログなんてものは、Googleに気に入られることより、誰かの人生に潤いを与えられるような文章を目指したほうがいいのではないだろうか。
「感動しました!」とかいうレスが来るような劇的なものではなく、日々の生活で少し「幸せ」が増えるようなブログ。
愚痴なんかも書くことはあるかもしれない(そもそも前述の記事がただの愚痴)が、まあ人間なのでブレて当然。そんなもんである。

幸も不幸も日常にしか存在し得ない。
ドラマのようなイベントを起こすより、今あるものにフォーカスできるようにする方がQOLが上がると思うのだ。

そういう観点で見ると、それがどんな些細なことであっても、自分の体験に関してレポートするのはすごくいいのではないかと思い始めている。
最近の「和ラー」レポなんかはまさにこの典型。

自分のライフログにもなるし、これで誰かが「おいしい」という経験をすれば、この記事は誰かの幸せの一助になったと言える*4

最近FBでプライベートなことを更新していることが多いのだが、その記事を見た人にたまにリアルで会うと「あれ面白そうだね」とか「更新を見るのが毎日の楽しみになってる」とか、そういう声を聞けるようになった。
書いている内容はこのブログとそう変わらない。
「おいしいものを食べた」とか「今日はこんな魚が釣れた」とかそういう些細なことなのだが、それでも誰かの意識に多少なりとも「幸せ」な感を与えられることができているようだ。

自分が生きていると言う証を残すことは、思った以上に誰かに影響する。
私はそれをリアルの「私」だけではなく、インターネット上の「私」でもやりたいのだ*5

「ブログに書くネタがない」そんな方も多いようであるが、是非あなたにとっての「普通のこと」を書いて欲しいなーと思う。
それは誰かにとっての「幸せ」に繋がるかもしれないのだ。

*1:このデータすらも個体差含みであること、そしてもちろん改竄がないという前提。データ改竄は本当に悪だ。

*2:厳密には違うかもしれないが、本論ではスルー。

*3:ものには個体差があるから、公式の発表とは違う場合もある。

*4:ほんとに和ラーは良かった。3種どれもダシが効いてて、しかもそれが嘘くさく(作りものっぽく)ない。今までにない感じだなあと。

*5:でも身バレは怖い…ジレンマよなあ。