正直は善で嘘は悪とか一概には言えないよね~ライアーゲームを見て思うこと~

書こうと思ったら猫様に椅子をとられてしまいました。

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無理矢理座ったけど全く退く気なし。
それどころか「早くどけよ」的なオーラを出してくる。ひどい。
結局私は冷たい方のイスに移動させられました。

こんな感じで猫様絶対生活を送っていますがちゃまにあです。こんばんは。


今日は「書くって難しい! - がちゃまにあ日報」の注釈にちらりと書いた「私の直ちゃん嫌い」について。
キャラの設定にごちゃごちゃ言うのは無粋な気もするけど(笑)
秋山 深一(松田 翔太)好きな私の嫉妬心からこんな記事を書くわけではないです。
(戸田 恵梨香さんが嫌いってわけでもない。むしろSPECの当麻さんとか好きだ。)

直ちゃんってどんな人?

「正直」という言葉は、「嘘偽りがない、素直、正しくてまっすぐ、みせかけやごまかしでない、裏表がない」のような性質を表す。

ライアーゲーム」の直ちゃんは「バカ正直」なので、普通の正直さではありません。
秋山くんに騙されて放置されたとも気付かず、一晩待ってみたり。
毎回きのこに騙されて、「直ちゃん、君はほんとに・・・ばぁかだよねぇぇぇ!」って言われてみたり(きのこ好きだ)。
子どもに落とし穴に42回もはめられたり。
学生時代は告白絡みでからかわれたり。

普通ならちょっとは疑うようになります。学習するから。
でも直ちゃんは違う。
『でも、私は全然気にしてません。だって人間「正直が一番」だもの!』と明るく言い切っちゃう。
そういう人です。

善人の恐怖

そんな直ちゃんですが、「ライアーゲーム」に参加してあっさりその態度を崩します。

「この人が私を騙すわけがない。だっていい人だもの」
   ↓ 結局騙される
「騙すなんてひどい!・・・どうして?(泣)」

1億取られたら、さすがにニコニコとはしてられないよなー。
反撃しないとドラマとしても話が進まないし(笑)
直ちゃんは元天才詐欺師の秋山くんを頼り、まずは恩師を返り討ちに。
その後は「参加者全員をライアーゲームから救い出す」という大義名分の下、秋山くんの力を使って勝ち上がっていく。
結果的に秋山くんが勝ち、みんなの借金は帳消し、良かった良かった、というお話です(ざっくり)。

たぶん、直ちゃんは社会的に「善」とされている価値をそのまま受け入れた「善人」なんだろうな。
だから正直でまっすぐで人に優しいように見える。まるで「天使」。

でもそれは本当に「善」なんだろうか。

「全員を救う」というのは、「誰も損をしないかわりに得もしない」という結果を秋山くんの力を使って全員に押し付けること。
直ちゃん的には満足かもしれないけど、少なくともきのこは不満だっただろうなあ。
横谷くんに人を信じさせたのも、秋山くんに復讐を諦めさせたのも、直ちゃんの価値観を押し付けたように見えちゃったし(斜めに見すぎか)。

その辺に無自覚な直ちゃんってすごく怖いし、何より迷惑。
拒否すれば「私は正しいことをしているのにどうして?」という被害者意識すら持ちそうだ。
善意の押し売りは本当にタチが悪い。

程度問題?

ライアーゲームで騙されて負ける」これは1億円の借金を意味するので、誰だって騙されてニコニコしているわけには行かないだろう。
だから直ちゃんが秋山くんの力を借りて返り討ちにしたことには何の異論もない。
悪意にはそれなりの手段を持って対抗するのが自然だ(むしろこれを無条件に許すのはおかしいと思う)。

私が気になるのは、子供が落とし穴にはめるために「騙す」のは悪意のないただのイタズラで、ライアーゲーム参加者が「騙す」のはゲームとはいえお金を取るから詐欺、こんな価値観が直ちゃんの中に見えてしまうところだ。

やっていることの本質は、双方とも「相手を騙して目的を達成する」こと。
悪意に基づいていると言っていいだろう。
もちろん、子どもが落とし穴にはめるのと1億円を騙し取るのでは罪の重さは違う。
だが「嘘」はあくまで「嘘」であり、裏には悪意が潜んでいる。
「正直さ」を善としている直ちゃんにとっては、どちらも罪になると思うんだけど、違うのかな。

「騙す」ことが引き起こした損害の程度によって許容するかを決める、この直ちゃんの態度からは「万引き」を「窃盗」とせず、「カツアゲ」を「強盗」としない、そういうタイプの人間の気配を感じてしまう。
直ちゃん自体は違うだろうが、こういう態度を取ることによってそういう人間を生み出す要因になってしまう気がする。

「正直さ」を売りにするなら、些細な悪意でも「ダメ」という真摯さは欲しい。

善とか悪とか

そういうことを考えると、次に気になるのが「何がダメなのか」と言うことだ。
私の中では「ダメ」なことは「悪」、「良い」ことは「善」である。

ライアーゲームという作品の中では「正直=善」「嘘=悪」。
正直者は救いをもたらす天使で、嘘つきは他人を自らの血肉にする悪魔。
それは作中でライアーゲーム主催者(北大路欣也)が描いた絵に端的に表現されている。

でも本当にそうだろうか?

この捉え方って、「正直」の中の善の要素、「嘘」の中の悪の要素しか見ていないのではないだろうか。
直ちゃんの「バカ正直」という性質自体は、個人的には善でも何でもないと考えている。
「正直な人」が悪意を持ったら、恐ろしい事件になるかもしれない。
「嘘つき」が人を楽しませようとしたら、面白いエンターテインメントが生まれるかもしれない。
行動そのものと言うより、意図と方法(マナーとかモラルとか)が重要なんじゃないだろうかと私は思うのだが、どうだろう。

その辺を考えず、「正直さ=善」として押し付ける直ちゃんは、やっぱり怖いし迷惑。
(最後の最後で「人を幸せにする優しい嘘ならいい」と言ってたけど)
これがドラマである以上、構図を単純にして視聴者を混乱させないようにしないといかんし、仕方ないのかもしれないけど。


私は、善も悪も社会情勢によって変わるものだろうと思っている。
そういう社会規範に染まった「善」にはあまり興味がないんだけど(常識の範囲内で守れていればいいや)、人間として「善く」生きるにはどうしたらいいかというのは考えていきたい。
別の言い方をすると「かっこいい生き方」を追求したいのだ(自己満なのは自覚済)。

私は直ちゃんが嫌いだが、同調できる部分もある。
性善説を信じたい」というスタンス。人の言うことを聞き入れる素直さ。人に対する優しさなどなど。
直ちゃんの「バカ正直じゃダメですか?」的な発言なんかは、字面だけの意味で取るなら9割方賛成だ。
(だから「これ釣りかも?」って思いながら記事を読むのは個人的にはあまり楽しめない。事実出ないことを明示しておいてもらえれば、エンターテインメントとして楽しめるんだけどな)

元詐欺師である秋山くんには、いざと言うときに戦える勇気と度胸、自分の価値観を曲げない芯の強さが見える。
「人を騙す」という方法自体はもちろん良くないと思うけど、考え方はかっこよくていいじゃあないか。
イケメンだからなお良し(笑)


ライアーゲーム」ドラマであり、現実と乖離しているということは重々承知している。
ついでに、中二っぽいこと言ってるなーという自覚もある。

それでも、自分なりの善と悪の基準をしっかり考えることって大事だと思うんです。
何故それが善なのか、悪なのか、理由も含めて。

そうしないと軸がぶれて、「かっこいい」とは程遠い生き方になってしまうんじゃないだろうか。


私ってば、一生こんな中二っぽいことを言い続けるんだろうなあ(笑)