金魚が卵を産んだので稚魚を育ててみる

もう数か月前の話だが、金魚を飼い始めた。
と言っても、自発的に購入したわけではなく、青物(ブリなど)用の釣り餌として購入されたものを譲り受けたものだ。
金魚は目立つので青物をいい感じに煽ってくれるような雰囲気があるが、実際は全然反応がなかった。
(もちろんその日の地合いの影響もあるので、ダメとも言い切れないが)


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一緒に写っている銀色の魚はギンペイ(ウグイ)。
同じく青物用の釣り餌である。
「最強の生餌」なんて異名もあるようだが、これも地合い次第。
この魚は渓流釣りでもよく釣れる。ただし色はもっと地味だ。


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釣り餌になるくらいだから訳あり個体かと思ったが、予想に反して金魚は順調に育った。
人間にもすぐに慣れたようで、姿を見たら餌の催促に寄って来る。

そして先月、水槽の中に小さな黒い粒が無数にあるのを発見した。
かなりの数が産み付けられていたにも関わらず、卵が成長して黒くなるまで、私は全く気付けなかった。
想定外のことが起こった時の人間の認知力は相当に低下するようだ。
卵も稚魚も、金魚とウグイの格好の餌となる。
保護のために慌てて隔離したその翌日、次々と孵化が始まった。
どうやら本当にギリギリのタイミングだったらしい。

金魚の稚魚↓


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写真の稚魚の体長は6~8mm。
生まれたてはもっと小さい。
おなかの養分袋(ヨークサック)がないと、ゴミと一瞬間違えてしまうくらいだ。

ヨークサックがなくなった後から、本格的に飼育開始である。
餌やりと掃除、水替えが水槽管理の主な仕事になるが、稚魚は雑に扱うとすぐに死んでしまうので難易度は高め。

実は、1回目の産卵分(冒頭で書いた話の分)は全滅させてしまった。
死因は「餓死」。
もちろん毎日有り余るくらいに餌をあげていたのだが、稚魚は全く食べていなかったようだ。

死因が餓死だとわかったのは、2回目の孵化後である。
稚魚が餌を食べると、無色透明の体が餌の色になる。
写真でもほんのりオレンジ色になっているのがわかるだろうか。
1回目の稚魚では、このような体色変化が全くなかった。

今日までに餌は3種類使用したが、食べたのはブラインシュリンプというプランクトンのみ。

人工飼料:×
ブラインシュリンプの黄身(乾燥):×
ブラインシュリンプ:〇


私が使っているのはこれ。

by カエレバ


20gで1000円ほど。
Amazonと近所のペットショップを比較しても、値段はほぼ変わらない。
少々値が張るから避けたくなるが、他の餌には見向きもしないのであきらめよう。
今のところ1週間で1g使用で十分間に合っている。
稚魚の成長に合わせて、徐々に人工飼料に切り替えていく予定である。


私が最初にブラインシュリンプを避けた理由は価格だけではない。
実は、ブラインシュリンプは給餌にとても手間がかかるのだ。
塩水の中に卵を投入、エアレーションで撹拌しながら24h待つ(時間は気温によっても変動する)。
孵化したブラインシュリンプをスポイトで吸い取り、稚魚に与える。

↓うちのブラインシュリンプ孵化セット


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金魚鉢、エアチューブ、エアストーン、スポイト、ライト、水入れ(タッパー)、スプーン、すべてダイソーで購入。
最近のダイソーは水槽関連の道具も置いてあってとてもありがたい。
この写真には載っていないが、逆流防止弁、エアチューブ、チューブ固定用吸盤などは結構使うので、見つけたら買い置きをしている。

スポイトはいいサイズ感のものが書道コーナーに置いてあった。
ブラインシュリンプの体長は1mm程度。
水槽用の大きなスポイトは不適である。


採取は下記の要領で行っている。

①孵化用の金魚鉢にライトを当てて稚魚を寄せ、スポイトで吸う
 この時、浮いている黒い粒=卵の殻 は極力吸わないようにする
 稚魚が食べると消化不良を起こす場合がある

②タッパー内にある程度の数を集めたら、稚魚の水槽からスプーンで水を入れる(塩分の希釈)

③スプーンもしくはスポイトで、水流を起こさないようにやさしく稚魚の近くに給餌する

これを稚魚の体色がオレンジ色になるまで繰り返す。
1日に4回給餌がいいそうだが、さすがにハードルが高い。私は朝晩の2回給餌にしている。


今は浅めのコンテナで飼育していて、数はおそらく200匹を軽く超える。
これから脱落もあるだろうが、順調に行けば45cm水槽がアート・アクアリウムのような状態になるかもしれない。
ぜひこのまま育って欲しいものである。

Unityでゲーム制作開始

前々からやろうと思っていたゲーム作り、ようやく取りかかり始めた。

Unity始めました

X本当に昨日触り始めたばかりで、ようやくTilemapの使い方がわかったところだ。
コード打ちが少ないのが意外である。
Mapなんて配列を使って作るものだと思っていたのだが。

その分、ソフト自体の使い方が複雑である。
表記が英語なのもわかりにくさに拍車をかけている。(もしかして日本語パッチあるんだろうか…)
人によっては「英語のソフトだから無理」となってしまうかもしれない。
逐一調べて、ちまちま作って行こうと思う。
unity

ファミコンウォーズ的なやつが作りたい

flash全盛期、脱出ゲームを作っていた。
当時から「ファミコンウォーズっぽいものが作りたい」と思っていたのだが、コードを理解する時間的な余裕がなくなって放置、結局10年以上手を付けずに過ごしてきた。
だが先日、ふと「このまま作らずに死の床についたら、絶対心残りになるな」という思いが湧いたのだ。

「やらない後悔」を私は既にいくつか経験している。
「実行していたらいい結果を得られたかもしれない」
ポシティブな可能性を否定できないことにより、真綿で首を絞められるようにメンタルを削られていく。

「やった後悔」よりはマシだなんて声がたまに聞こえてくるが、私はそうは思わない。
「やらない後悔」には過失要素がない。つまり完全に「自分のせい」である。
これは死ぬ前に相当な重荷になるはずだ。

年内完成目標

ここまで考えても、きっとまた放置するのが私である。

まずは極力手間がかからないように試作、畑と釣りの合間にするので年内完成できれば御の字か。
最終的には絵から自作して作る予定である。
さ、がんばろ。

家庭菜園が想像以上に楽しい

久々の更新。皆様健やかにお過ごしだろうか。
梅雨明けからの急激な気温上昇で、私はきっちり暑さに負けている。予定調和である。

今年の春から家庭菜園を始めた。
昨年から食料に対するリスクヘッジが必要だとぼんやりと考えていて、それを実行した形である。
(何となく、お金があっても物が買えなくなる時代が来るような気がした)
開始時の投資はほとんどなし。ご厚意に甘えさせてもらっている。
地方住みはこういうことがあるからありがたい。
メンテは週一程度で趣味のレベルの家庭菜園だが、予想以上の成果を得ることができた。

畑の収穫量はプランターと比較にならないレベル

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1ヶ月程前の写真である。
写真のピーマン、1つが10センチ程ある。
ナス、15〜20センチの米ナスと20〜22センチの千両ナスがごろごろと収穫できた。
トマトは直径8〜10センチ。緑のときに収穫し、家で追熟させるスタイルだ。(カラス対策)

プランター栽培ではピーマンは7センチ程度、トマト(大玉ではなくミニトマトだったが)の収穫量はここまで多くはなかったし、ナスに至っては小さい実1つで終わってしまった。
トマト、ナス2種、ピーマン、それぞれ3株ずつの栽培。
正直こんなに収穫できるとは思っていなかった。嬉しい誤算である。
特に今年は野菜の価格が高騰している。最大限に恩恵を享受できているように思う。

敵は草と虫と病気(たまに野生動物)

畑仕事は敵との戦いでもある。

・草
特に今の時期は無限増殖していて本当に厄介である。
手作業で根から切るが、畑の面積が広く、全エリア一斉の草刈りは到底不可能。
他のエリアを対応している間に、すっかり元通りだ。
ゾンビ狩りが現実で起こったら、こういう気分になるのかもしれない。
放置すると畑から藪にクラスチェンジ、害虫や病気の温床となる。

・虫
カメムシ、毛虫、アブラムシあたりが頻出する。
特にカメムシはエンドウ豆、枝豆、ナス、ピーマンを食害する厄介な敵だ。
全エリアで虫除けネットを設置できればいいのだが、あまり現実的ではない。
最初は手で駆除していたのだが、結局農薬に頼ることとなった。



収穫前日まで使える、毒性の低いものである。
これでも十分効果はあった。

・病気
エンドウを育てていたが、うどんこ病で壊滅。
それ以来、怪しい葉を見つけたら取るようにしている。
きゅうりが少々怪しい気配を出しているので、必要なら農薬散布。
先の農薬で対応できるはずだが、効果は確認していない。

・野生動物
トマトがカラスに食害されている。最近は熟していなくてもつつくようになってきた。
また、畑の前でイノシシの足跡を発見した。
柵はあるので大丈夫だとは思うが、気をつけなくてはいけないだろう。

畑があれば通年何かを栽培できる

今はきゅうり、モロヘイヤ、青紫蘇、赤紫蘇、パセリ、ネギ、かぼちゃ、里芋、菊芋、サツマイモ、春菊、ニラ、人参を栽培中である。
人参は時期外れに植えたので怪しいが、それ以外は順調に育っている。


温度変化が激しいため、プランター程度の土量では冬に野菜を育てるのは厳しい。
が、畑ならトンネル掛け等の保温対応をすれば栽培可能である。
(トンネル掛け:アーチ型の支柱にビニールや布をかける 保温、防虫効果が期待できる)
暑さがおさまったら白菜の種まき、寒さに強い野菜があれば他にも仕込んでおこうと考えているところだ。

目指すは半自給自足でQOL向上

家庭菜園と釣りをすると、食材の相当量をまかなうことができる。
おかげでスーパーに行く機会が劇的に少なくなった。

平日は仕事、週末作業で食費の軽減を図る今の生活は割といいバランスの生活だと考えている。
完全な自給自足は食材選択の幅が狭くなる上、食材の下処理(野菜なら洗浄や可食部の選別、魚なら捌く)の手間も増えるため、そもそも目指していない。
(完全自給自足になったら、どう考えても肉の調達ができそうにない…)

今後の展望として、仕事をしつつ、畑での作業時間を徐々に増やしたいと考えている。
そういう意味では、在宅ワークがデフォルトになってくれるとありがたい。
在宅なら、仕事の隙間に食材の下処理→調理が可能。
昼休みにご飯を作りながら夕飯の支度もし、夜はゆっくり過ごすという理想的な日常を作ることができる。
家事も極力自動化、食洗機・ドラム式洗濯機は必須である。
(自動化・外注=手抜き=悪 みたいな捉え方をする方がいるが、最低1年程度全ての家事に対応した後、同じことを言えるか聞いてみたいものだ。文明の恩恵を受けることを拒否する意味がわからない)

私が生きる上で目指すものは、QOLの向上である。
自分や自分の大切なものがいかに心地よく生を全うできるか、これに尽きる。
家庭菜園での半自給自足は、この目標達成に大いに貢献してくれそうだ。

twitterが怨念拡散ツールになりつつある気がする

私はTwitterをそこそこ長くやっている。
2014年の2月。6年である。

Twitterは誰かの飾り立てない日常の気持ちを垣間見ることができて好きだ。気軽に投稿できるのもいい。
だが、最近は政治的なメッセージや、自己顕示のための真偽のわからないツイートを目にすることが多くなった。
そういうツイートには、怒りをぶちまけるようなリプも多数付く。
コロナで不安な人が多いせいかもしれないが、TLが全体的に地獄の様相を呈している感がある。

「安倍ガー」はわかるが、○○○はもっと信用できない

コロナに対する対応をめぐり、政治に対する不満の声がたくさん上がっている。
確かに現政権の対応が悪い感は否めない。*1
各個人に色々な主張があり、それを叶えてくれる政党を支持するというのは自然なことだ。
だが、耳触りのいい言葉や強い言葉ばかり並べる政治家・政党は疑ってかかった方が良いだろう。
例えば、大抵の人が肯定する施策として「給付金・保障・支払期限延期」がある。
上記を「全部実現します!」と言われれば支持したくなるが、勢いで当選させた議員 (誰とは言わない) の所業が酷かったことは記憶に新しい。
また、この手の政治家には腰巾着が多数付いていて、それが当人を勢いづかせる一助となっている。
政治家に限ったことではないが、信者ばかりのリプ欄は本当に気持ちが悪いものだ。
見た後はブロックするのが常である。

自己顕示欲を満たすためのデマ(?)ツイート

これはコロナの前からもたくさん存在しているが、最近目立つ気がしている。
具体例はありすぎるので省く。
直近では「コロナ自粛のせいで飲食店経営の友人が自殺した」という文言に自分(の成果物)の写真をつけてツイートする人を見て、勝手にモヤモヤしていたところである。
私の知人が亡くなったら、たとえそれが付き合いのなくなった友人や最悪の別れ方をした元彼であってもツイートできないし、ましてや自分の写真を載せて「悲しんでいます…」なんて考えられない。
結局自己顕示欲を満たすための嘘なのではないかと邪推してモヤモヤしてしまうし、本当なら人の生死を利用している分余計にタチが悪い。
そういうアカウントは自撮り写真がアイコンとなっていることが多いことにも気がついた。
もちろんブロック対象である。

#拡散希望

このタグが付いたものは拡散してはいけないことが多い。
特に人探し。販売系もか。

見なければいいのはわかっちゃいるが

それが自分にはマイナスにしかならないことが薄々わかっていても、言葉が強いツイートはついリプ欄まで見てしまう。
こういうものに囚われる時のメンタルの状況はよろしいとは言えない。
そろそろリツイートを非表示にしないといけない時期なのかもしれない。

Twitterを辞めるつもりはない。
冒頭に書いたような楽しさがあるのは変わらないし、お手軽料理レシピや筋トレメニュー、色々な方のマンガが見られるのもとても楽しい。
下記にオススメの方を紹介するので、興味のある方はフォローされたし。
(敬称略)

なかしましほ ⁦‪@nakashimarecipe‬⁩
お料理レシピ。
簡単なものばかりではないけど、作りたくなる魅力がある。
豆漿 (トウジャン) おいしかった。

青い ⁦‪@24Bllue
「土地神と、村で一番若い嫁」(書籍版タイトル) という漫画を描いている方。
良い。

佐藤二朗 ⁦‪@actor_satojiro‬⁩
=仏 (勇者ヨシヒコ)
もちろん他の作品もたくさん出演されているが、私にとっては仏。

河野太郎 ⁦‪@konotarogomame‬⁩
防衛大臣。エゴサがすごすぎてフォローした。ハンコの人に見習って欲しい…

*1:精度の低いPCR検査より、人工呼吸器を製作できる企業に投資した方が良い気がする。自粛を続けるなら、この先3ヶ月程度は20万円×人くらいの給付金の支給+消費税撤廃くらいやって経済を回さないと厳しそうだ

ちまちまと幸せを積み上げる生活がしたい

さて久しぶりの更新。(明けましておめでとうございます)

昨年からずっと忙殺されている。
終わりが見えなくていい加減疲れてきたこともあり、「どうすれば毎日幸せに暮らせるか」をよく考えるようになった。
これは何度も行っていることだが、結局人生なんて「毎日の積み重ね」でしかない。
幸せになるには、人生一発逆転のような大きな幸せではなく、小さな幸せを重ねるのが正攻法なのだと考えている。
では実際にどうすればいいか。今までの反省を踏まえて考えてみたので書こうと思う。

家事を自動化して自分の時間を作る

7:30頃に家を出て、帰宅は22:30頃。
毎日ではないが、かなりの頻度でこんな生活をしている。
当然まともに家事などできるわけもなく、休日にまとめて対応というスタイルにならざるを得なかったのだが、この数ヶ月で何とか持ち直してきた。
改善できたのは間違い無く便利家電のおかげ。
食洗機、ドラム式洗濯機、ホットクック。
この3つがなければ「生活できない」と掛け値無しに言っていいくらいに依存している。

実は、この3つが揃ってからもう1年くらいは経っているはずである。
それでもここまで生活が立て直せなかったのは、自分が便利家電を使いこなせていなかったからに他ならない。
(特にホットクックは未だに使いこなせている気がしない…)
どんなに道具を揃えても、使わなければ意味がないのだ。
「家事を自動化する」という方針は間違っていなかったが、道具が揃えば自動化できるはずというのは安易だったように思う。
最近ようやく型にはまり、こうやってブログも書けるようになってきたので嬉しい。

仕事は適度に手を抜く

こんなことを書くと怒られそうだが、仕事は当たり障りのない程度にやることにした。
今までの私は「仕事楽しい!!」だったのだから、大きな変化である。
変化の理由は、環境が変わって仕事が面白くなくなったから。
人間関係や社内政治的なものが色々干渉してきて、まともにやっているのがアホらしくなってしまったのだ。
仕事に100%のパワーを割くより、60%を仕事、残り40%を自分の楽しみに使いたい。
面白くないことに時間やパワーを使い切る人生を過ごせば、死ぬ時に後悔するのは自明である。
そういう思いをしたくないのだ、私は。

また、100%でやったところで給与に反映されないというのも、モチベーションが上がらない大きな理由だ。
これはサラリーマンである以上逃れられない宿命なのかもしれないが、どれだけ利益を出しても(または損失を回避しても)、スズメの涙ほどしかフィードバックされない。
それなら、副業や趣味など、自分の人生にプラスになることに時間を使ったほうが良いだろう。

会社に人生を捧げても、会社は自分を守ってはくれない。
仕事が私にとって「楽しくないこと」になってしまった以上、適度に手を抜く、対価に見合うくらいで止めることがQOL向上には必要である。
(「手を抜く」は「学習しない・いい加減にやる」という意味ではなく、「積極的にやらない・深追いせず必要なことのみ対応する」という感じ)

自分を満たすものに投資する

何かものを買うとき、若かりし頃の基準は「値段」だった。
昨日が多少落ちても、それが妥協できる範囲なら値段が安いものを買っていた。
それはそれで間違いではないのかもしれないが、残念ながらQOLはどんどん下がって行く。

QOLが下がるのは、自尊心が満たされないからだ。
「本当はこちらのデザインが欲しい。でも高いからこちらにしよう」というのは、自分の欲求(=これが欲しいという気持ち)を否定する選び方である。
「お金」という価値基準を最重要視する傾向は今でも根強いが、個人的にはあまりおすすめできないという印象。
積極的に「安いもの」を選択することができる人は、もちろんこの限りではないが。

私は物心ついた時からそういう選び方をしてきたので、ついには何が欲しいのかよくわからなくなってしまった。
(ちなみに「必要なもの」は迷わず選べるし、誰かのためのものも値段を気にせず買える)
35歳を越えたくらいからようやく枷が外れたような気がしているが、それでもストレートに「これが欲しい!」で選ぶのは難しい。
この行動がQOLを下げていると気付いたので、人に迷惑をかけない限り、衝動的な行動も極力否定しないことにしている。
例えば夜遅くに帰ってから胃もたれ上等でチーズたっぷりのピザを食べてみたり。これは最高においしかった。

ゲームを発売日に即買いしたり、嗜好品をある程度グレードの高いものにしたりもした。
ふらっと旅行に行くようになったことも大きな変化である。SAや道の駅で地元の特産品を買って楽しんだりしている。
結果として、過剰にものを欲することはなくなったし、何となく感じていた不自由さや他人への線引きも薄まっているように思う。

「画一的な幸せ」では幸せになれないと気付く

例えば私は結婚していないし、子供もいない。
同年代の友人には家族がいる。

「ああ、私は友人よりも劣っているし、不幸だ。」と考えることは、幸いにして、ない。
「劣る」もこの場合の「不幸」も、友人と自分を「結婚は幸せである」という価値基準で比較した結果でしかないと知っているからである。
(知っているのは「役に立たない」と言われがちな文系卒のおかげ。人生について考えるという点ではとてもプラスになっている。)
例えば「自由時間の有無」という価値基準で比較すれば、圧倒的に私の方が「幸せ」になる。
「自己決定権」や「お金の自由」あたりも私の方が融通が効くかもしれない。
逆に、「緊急時の対応」や「安定」という点では負けているだろう。
結局、どちらも一長一短なのだ。

世間一般で言われる幸せに自分が則していないからと言って、気にすることはないように思う。
何かを持っていないのは、その対となる価値を持っていることと同義だ。
どんな生き方をしてもいいが、肝要なのは「自分がその生き方満足できるか」であろう。
幸せになるには、ゴールとなる幸せの位置をまず把握する必要があるが、それは常識や普通として語られる「画一的な幸せ」ではないことを意識しておきたいと考えている。

誰かを幸せにすることが自分の幸せになる

長々と書いて来たが、自分が幸せになる最強の方法は「誰かを幸せにする」ことだと考えている。
「誰か」は人間でなくても、何なら生き物でなくても構わない。ちなみに私は猫である。

猫に美味しいご飯をあげる。
甘えて来たら撫でる。
暖かくて柔らかい場所で寝かせる。(主に私のベッド)

猫は家事をしないし、お金を持ってくる訳でもないが、のびのびと穏やかに生きているのを見るだけで、なんとも満たされた気持ちになる。
日常にもっと幸せな時間を増やすのであれば、同じように誰かが喜ぶことを積極的にすればいいのだろう。
(優しくするとすぐに搾取してくる輩も多く、注意が必要なのが世知辛い)

また、自分が誰かの優しさを受け取ることも大切だ。
誰かの親切に対してつい遠慮してしまうが、受け取ることで相手を満たすことができるということは覚えておいた方がいいだろう。
例えば、公共交通機関で席を譲ったのに座ってもらえなかったら、何とも気まずい感じになる。
遠慮は美徳とされることが多いが、気持ちを込めて差し出されたものはありがたく受け取る方が良いと個人的には考えている。

毎日幸せな瞬間を重ねて生きたい

小さな幸せを積み上げるには、自分と、自分が大事にしているものを大事にすれば良い。
とはわかっていても、その方法論が無数にあり、外野が色々なものを押し付けてくるために見失いやすい。
最近ようやくQOLが改善して来た感じがあるので、この調子で毎日幸せを感じつつ過ごして生きたいと思っている。

手帳を使えば自分の人生の主導権を取り返せるだろうか

お題「手帳」

そろそろ新しい手帳の時期だ。
ほぼ日やジブン手帳から100均まで。
昔のことを考えたら、本当に色々と種類が増えた。
今日も興味本位で本屋の手帳コーナーをウロウロしてきたところである。

1番マメに更新したのは高校生の頃だろう。
B6のバインダー型、2cm×10cmくらいの狭い枠に色恋沙汰やら親への鬱憤やらを詰め込んでいた。

大人になり、ほぼ日やジブン手帳など色々なものを試したが、結局はそれなりに続いてフェードアウトというパターンの繰り返しである。
今は固定のノートにブレインダンプやTodoなどをたまに書く程度だ。

売り場こそ見たものの、今年は手帳の購入自体を迷っている。
欲しい手帳は3000円前後。無駄にしてしまうなら、買わない方が良いのではないか。
だが、そうすることで自分の人生がアンコントロールになっている状況に拍車をかけるかもしれない、と考えたりもする。
手帳への記入が続かない=何の指標もない、だからこそ最近不満だらけなのかもしれない。

時間がないと続かない

手帳への記録が続かないのは何故だろうと考えたとき、まず浮かぶのが圧倒的な時間の不足である。

愚痴を避けるためにわざわざお題から「手帳」の選んだのにあまり仕事の話はしたくないのだが、通勤時間合わせて仕事の拘束時間が14.5h、睡眠6h(本当はこれでも足りない)、家事やら身支度やらで1.5h(料理あまりしない、食洗機・ドラム式洗濯機使用 身支度は最小限)これで計22hである。
自由時間が2h?意味がわからない。
楽しくない仕事に人生の大半を注ぎ込まざるを得ないなんて、世の中どれだけハードモードになっているのか。
この状況を甘受して生きたら、人生最期の時に何を思うのだろう。不満の中で死を迎えるなんて、想像するだけでおぞましい。

正直なところ、休日以外はお金を下ろしにいくことすらままならない状態だ。
この状況で毎日手帳に記録する時間を捻出するのは無理である。

時間以前に、手帳に記録するパワーがないのも大問題だ。
頑張っても給料に反映されないから、モチベーションが下がる。
モチベーションが下がると精神的に疲れる。
疲れると何もしたくないから、ツイッターPS4何かをちょっとやって寝るというパターンが多い。
我ながら悪循環の極みと言える。

結局、手帳に日々の出来事を記録するには、時間、体力、気力の全てに余裕が必要なのだ。

時間管理で仕事を効率化…したくない!

「そもそも手帳は時間管理ツールなんだから、そういう状況こそむしろちゃんと手帳を活用するべき」という意見もあるだろう。
それはもう本当にその通りで、1つの作業に時間をきっちり割り当てて管理すれば、確かに効率良く仕事ができる。
後述のバレットジャーナルを使えば、抜けなく対応出来ることも体験済みだ。
ただ、今の環境では、効率良くやるほど疲弊するという残念な結果に終わった。
はっきり言って、手帳を活用して仕事を効率化して、ガンガン倒すぞ!…という気には微塵もならない。

業務の内容自体は楽しいのだ。がっつりやる熱量もあった。
だが、悪意が蔓延する職場では、楽しんでいる人間、うまくいっている人間は「ムカつく」となって仕事の押し付けや重箱の隅をつつくような攻撃の対象となるらしい。
異動直後は真面目に効率化を図ったのだが、私にだけ風当たりが強くなったので、アホらしくなってやめた。
(管理職も含めてこんなことをやっているのだから救えない…)

業務量の削減にはバレットジャーナルが使える

だが、仕事において手帳が完全に不要というわけでもない。
前述の「バレットジャーナル」である。
簡単に言うと「項目ごとに記号で進捗管理しよう」という方法だが、これが業務量削減になかなか効果がある。
概念については本家が書いた書籍はもちろん、薄いムック本でも十分に理解できると思う。
これを業務の効率化ではなく、サボるために使う。

作業は3ステップ。

①項目羅列
②要/不要にわける
③対応必要な項目は進捗管理、不要は誰かに言われるまで無視
依頼者によって やる/やらない を決める

この方法のメリットは、頭に浮かんだままのことを放置せずジャッジすることで、脳のリソースを有効利用できることである。
複数個の懸念点が片付かずに頭の中に残っているという状態がどれだけ脳のリソースを消費するか、私はこの数ヶ月でようやく理解した。
記憶力はもちろん、判断力や計算力すら奪われる。もちろん人生を楽しむための精神力も。
複数作業は一旦保存して終了、メモリを解放すれば動作が速くなるのはパソコンも人間も変わらないらしい。

「極力仕事をしない」というネガティブな方向に持っていくためにこの方法を使うのは、考案者に申し訳ない気もする。
が、QOLを上げるという意味ではポジティブだし、まあ勘弁してもらうこととしよう。

手帳を使うことで人生の主導権を取り返せるかもしれない

手帳術紹介の雑誌などで、使いこなしている人の使用例を見ると、記録することを楽しんでいるし、それによってQOLが向上しているように見える。
手帳に記録することで人生の肯定的な面にフォーカスする→メンタルが回復してエネルギー補充→楽しいから更に手帳に記録 以下ループ

嫌なことに意識を合わせる時間が長ければ、人生が楽しくなくなるのは当然であろう。
そして更に嫌なことが増えるという悪循環。
どうもここ数ヶ月の私は、こちらのループに入っているようだ。

QOLを上げる手帳術で比較的簡単なのは、その日の嬉しかったことを記録することだろう。
おいしい、楽しいなどでもいい。とにかく自分がいい気分になれたことにフォーカスし、冒頭のループに入ることを目指す。

「時間がない」や」嫌なことを避けるために力を使う」というのは、自分の人生の主導権が誰かに奪われているという証拠である。
私の人生は私のものだ。
仕事ごときに「楽しくない人生」にされてたまるか。
やりたいことはまだまだあるのだ。

よし、やっぱり今年も手帳を買おう。

人のモチベーションを下げるのは本当に悪手だ

うちの上司ががっつりモチベーションを下げに来る。

別にパワハラをするわけではない。
(大分グレーな言われ方をしている人もいるので、ないとは言えないが)
進捗管理という旗の下、個人の意志とは関係なく業務とリミット設定をまとめて投げつけるのである。
あとは結果の刈り取りのみ。フォロー?何それ?

人間が何かに興味を持ったり好意的な捉え方をすると、自発的に行動することが多くなる。
例えば私なら釣りやゲームは誰に指示されなくても情報を得ようとするし、実践もする。
私は仕事に対してもそうしてきたのだが、このやり方のせいで、すっかり興味がなくなってしまった。
5年以上あれだけ楽しくやっていたのが、数ヶ月でここまで変わるものか。
扱う対象は何も変わっていないのに…(むしろ面白くなっているくらいなのに)

興味がないとは言え、さすがに何もやらないわけにはいかない。
適当にやり過ごそうかと思っているが、毎朝憂鬱である。
興味のないことに1日の時間の大半をつぎ込むなんて、QOLの向上という観点から見れば非効率極まりない。
さてさて、今日もどうやって過ごすべきか…

仕事の楽しさは環境に依存するよねという話(ブラックは離脱すべし)

また久しぶり更新になってしまった。

下書きが山のように積み上がってきているが、なんだか今更アップするのもなんだかなーと思っている。
(釣りネタだけは上げようか。迷い中。)

ちょっと前に異動があり、今までよりも忙しくなってしまった。
とりあえず慣れるまではここのやり方に従っておくかと思っていたのだが、残業休日出勤ありきでしか業務を進められない、しかも替えがきかない(キーマン抜けたら即業務立ち行かなくなる)、という管理職の無能さに呆れて、どうやって重要な歯車にならないでいるか、策を練っているところである。
忙しくてもそれがちゃんと給与に反映されれば良いのだけどそれもないので、熱量かけるのがアホらしくなってしまった。
色々勉強していたノートも、昨日何の躊躇いもなく処分できてしまうあたり、相当興味がなくなっているのだろう。
大学の授業でもあったが、すごく面白いテーマを扱っているのにこんなにつまらなくするなんて、逆に器用なのかもしれない。

大半の人がそうだと思うが、仕事だろうが何だろうが、「つまらないこと」を強制されるのは苦痛でしかない。
その苦痛に耐えるのには何か理由があるはずである。
例えばそれは家族のためだったり、実務経験を積むためだったり。
今の私にはその理由が「お金」しかない。

仕事に興味がなくなるというのは、充実した人生を送るという観点から見ると、とてもクリティカルだ。
現在の部署は、そのような状態の社員が9割以上を占めているようである。
理由は平日の休息時間はおろか休日すら仕事から離れられないこと(グループメールが来る)、拒否権がないこと(あるのかもしれないが実質機能していない)、相手を否定するような言動が目立つ人間が多いこと(人間性というよりもストレス起因だと思われる)など、まあ上げればキリがない。
結局は組織のトップがロクでもないのだ。そして管理職がその腰巾着になっている。
人を大事にしない企業は衰退していくだけだと思うのだが。まあ今更気付いたところで実力ある人はどんどん抜けてしまっているし、手遅れかもしれない。

そんなわけで、仕事に向けていた熱量を他に回そうというのが最近の心境である。
まずはブログ復活、アプリ制作あたりをやってみようと考えている。
対象にこだわりはないが、知的好奇心を満たしてくれるようなことをやっていたいのだ。
収益化も視野に入れれば、さっさと仕事辞められるな(笑)
幸い行動に自由がきく環境だし、コッソリと離脱計画を進めようと思う。
(こんな風に生産性の低い人間をたくさん抱えて、企業は自滅していくんだろうなあ 自業自得だが)