自己評価と他者評価が乖離すると厄介だ

自分の生み出したもの(文章・絵など)を読まれるのがすごく苦手だ。

数字に基づいてデータをつくり、そこに考察を入れるような、「正しさ」のある文章はいいのだ。
そうではなくて、自分の感情や意思、趣味嗜好を表現するようなものを見られるのが嫌なのである。

こういう感覚を持つようになった理由に、思い当たる節はある。
自分の基準ですごくいいものができたと思ってもそれを他者に一蹴されたり、社会的な評価軸においていい成績を収めた(客観的に見てもよくできた)状態であっても妥当な評価がされない、こういうことが続いて「いい結果でも見せるのが嫌」という感覚を持つようになってしまった。
恥ずかしながら、「どうせ見せても○○だし」なんて拗ねたことを思ったりしている。

もちろん現実にはそんなことはない。
ありがたいことに、職場でもプライベートでも、過大評価なんじゃないかというくらい評価されている。
それを「そんなことはない。調子に乗っちゃいけない」と、自分の心が受け入れない。
できる自覚はあるし、周りの評価もある。だけど自分が受け入れないというのは、なかなか奇妙な現象である。
環境がどうであれ、結局は自分の意思次第か。

逆に言えば、体感的なものは自分次第でどうにでもなるということでもある。
幸不幸なんて体感でしかないのだから、現状よりも満たされている感覚があればいいのかもしれない。


…なんてことを思った朝。
今自分の文章が読まれてジャッジされていると思うと憂鬱だ。
ものすごいダメ出しを食らうかも…という予感しかないが、きっと現実はそうでもないんだろう。
現状と自分の認識が乖離すると厄介だ。
まあ 現実<認識 ではないのが救いだな。

さて金曜日。がんばりますかね。