ツイッターではアフィリサイトの複数アカウントによるレスとリツイートの応酬が横行しているのだろうか

グチっぽい記事連投で申し訳ない。だがどうにもモヤっとするのだ。

同一人物か疑念を持った理由

文章というのは不思議なもので、余程うまく偽らない限り、誰が書いたのかわかってしまう。
内容だけではなく、句読点の打ち方ひとつにも個人があらわれるから面白い。
例えば西村京太郎の文章は一文にやたら読点が多い。
内容は面白いのかもしれないが、とにかくリズムよく読めないので私は立ち読みで挫折してしまった。
ハリーポッターは日常表現が冗長すぎる感じがしたし(一応全部読んだが)、京極夏彦は字面が堅くて私の頭ではなかなか進みにくかった(面白いのは間違いない)。
性に合っていたのは池波正太郎田中芳樹。他にもいる気がするが、すぐに名前が上がるのはこの二者くらいである。

少々話が逸れたが、文章というのはとにかく思っている以上に個人があらわれるのだ。
それはたかだか140文字でも何ら変わることはない。
ツイートの内容は基本的に薄っぺらいのでわかりにくいが、同じ記事に関するツイートの多さ(言及ジャンルも決まっている)、文末の処理、顔文字の使い方、出現時間、などなどなど。
とにかく私が疑念を持つには十分すぎるほどの情報が詰まっている。

ツイッターでの複垢によるレス&リツイートの鬱陶しさは異常

さて、本題。
自分のTL上では、ブログ記事についてコメントやリツイートが流れることが多々ある。
私がツイッターでフォローするときは、普通のツイートがあり、他者への非難・否定が多くないことを基準としている(批判はOK)。
だからブログ記事についてのコメントが流れること自体は全然問題はないのだが、同一人物と思しきアカウント同士がツイートをリツイートして「これ良さそうやってみよう」なコメントをしているのは、さすがに見るに堪えない。
アンフォローすると他のアカウントを使ってフォローされるような気がするので、このまま見えないようにするのが得策ではないかと思っている。

そのやり方はQOLを下げるだけ

それにしても、どういう神経なんだろう。
こういうことを勧めているアフィリエイトの教材があるんだろうなあと想像するが、適用するかどうかは個人の倫理観次第である。
そのやり方で自分の仕事に誇りを持てるのだろうか。意義を見いだせるのだろうか。

アフィリエイトというのは孤独な作業だと聞く。
だからこそ利益だけではなく、自分の「正しさ」や「楽しさ」が精神的な意味での「仕事の価値」に直結するのではないかと思う。

私の部署に、隙あらばサボろうとする人がいる。
その人が先日こう言っていた。
「この30年間、仕事を楽しいと思ったことがない」と。
会社勤めなので収入は安定している。役職もなければ部下もいない、ある意味気楽でイージーな立場である。
だが、この人は幸せだろうか。
ズルをして仕事をしなくてもお金はもらえるが、基本的にサボっているから、周りから尊敬も信用もされず、大したスキルも付かず、後に残せるものもない。
私はこの人の5倍以上は忙しいにも関わらず得るお金はこの人以下だが*1、その分良好な人間関係を築いているし、社内で私にしかできないスキルもあるし、(部下ではないが)後から来たものに伝えるべきものも持っている。そして何より楽しい。
もちろん持っていないものも、しんどいこともあるが、「幸せか?」と問われれば、「幸せだ」と答えるだろう。

アフィリエイターには後ろ盾がなく、利益を出さなければ生活がままならない、そういう状況なのは理解できる。
が、だからと言ってどんな手段をとっていいわけではない。
それは他人のためであり、自分のためである。
アフィリエイター全体の価値を下げないためにも、そして自分の人生の質を上げるためにも、あまり姑息な手を使うのはやめていただければと思う*2

*1:年功序列の害

*2:そもそもこういうことを「姑息」と思う倫理観を持たない人だったらお手上げだな。