読んでも、書いても、ブログは楽しい

台風の朝。
家を出るときはくもりだったのに、釣り場に着いた途端大雨。
ついてないかと思ったが、雨の中の釣りは思いの外良かった。
雨音と濡れた足の冷たさが色々な雑念を払ってくれる。
(ただし、釣れてはいない)
とはいえ風雨が強くなるとさすがに心が折れて、1時間ばかりで竿を納めて今に至る。

休憩がてらはてなブログのアプリを開く。
相変わらずはてブホッテントリには全く興味がないけど、購読しているブログの更新はよく読むようになった。
一時期書いてばかりだったが、今は読んでリアクションするのが楽しくなっている。

読むのがそんなに楽しくなかった時期がある

実はこの記事は「読むのはともかく、ブログを書くのは楽しい」というタイトルで、長く寝かせていた。
なぜ読むのが楽しくなかったのか。
それはやはり「互助会」や「アフィリエイト目的」なブログが目立つ位置に来るようになったからだと思っている。

「月間◯◯万PV超えました!」「収益◯◯万円にする方法!」など、派手なタイトルのものばかり目に入る時期があった。
それは確かにすごいし、自分も刺激にはなる。
が、読んで面白いかと問われればそんなことはない。
私にとってそれらの記事はただの知識である。
何かの目的を達成するために読むものであり、楽しみのためではない。
だからそういうものばかり増えると、自然と読むことから足が遠のくのである。

リアクションできないとつまらない

もう一つ読むのが楽しくなかった原因として、リアクションしにくい状況ができた(ように感じた)ことが挙げられる。
「互助会問題」と言われるものである

ブクマと互助会認定と

互助会というのは「互いにブクマを付け合う関係性にある」ということだと私は認識している。
それはつまり、ブクマさえしなければ互助会扱いはされないということである。
…が、私のように購読しているブログやツイッターのTLからブログの情報を得ている身では、どうしても同じところにブクマを付けることが多くなってしまう。
そうしていると相手も私のブログの読者になってくれたりして、気付いたら互助会状態になっていたりするのだ。

以前の私は互助会扱いされるのがものすごく嫌だった。
私の中の「互助会」というのは、あの界隈のあのノリ、あの感じである(伝わらなくてすまぬ)。

私は誰彼問わずブクマしているわけではないし、購読していてもブクマしないときもある。
というか、そもそも相手の(もちろん自分も)アクセスアップを意図してブクマしていることは少ないのだ。
拡散したい記事なら、ツイッターでしつこくつぶやく。
例えばこれとか。

自分の記事だが、本当にオススメだったので何度もツイートした。
この記事を見て実際に行ってくれた方もいて、かなり嬉しい。
記事に力を持たせるとは、こういうことなのだと思っている。

もちろん被リンクが検索に有利だというのは知っている。
早期のブクマがホッテントリ入りに寄与することも。
だがいちいちそんなことを気にしてブクマしていると、相当気が削がれてしまう。
意図的に仕組みを利用しているわけではないのに色々言われ、行動を自粛するように誘導されてしまう、こんな理不尽なことはないと思うのだが、どうだろう。

そんなわけで、私は気にしないことにした。
互助互助したければ好きにしたらいいし、私のことをそう評価したいならしたらいいと思う。
これはある種の居直りではあるが、どこぞで見たように「互助会批判は仲間に入れない人が嫉妬しているだけだ!」と言うつもりもない。
実際に仕組みを悪用している、面白いとはとても言えないブログがホッテントリに入っている状況は私も嫌いだからだ。
ただ、「好き嫌い」や「面白いかどうか」が主観で判断せざるをえない以上、その論が的確であるとも言い難い。
その結果としての居直りである。*1

リアクションは表現だ

リアクションを取るというのは自分を表現することである。
「何を当たり前のことを」と言われそうだが、リアクションを取ることが「実利目的である」とされているのが互助会問題なのだ。

私は御意見番になどなれないし、なるつもりもない。
が、意志がないわけでもないし、違う価値観の提示はできるかもしれない。
それを適用するかは相手に委ねるとしても、表現すること自体を否定される謂れはない。
今は「何故互助会なんて気にしたのだろう」と笑っている。

どんどんブクマなりコメントなりすればいいのだ。
狙って炎上させる輩もいるが、それに憤りを感じるなら表現すればいい(ただし論理的に。否定ではなく批判を)。
相手を正そうとするのではなく、あくまでそのテーマについての「自分の表現」としてリアクションしよう。

ブログ、書きませんか

いちいちこんなことを気にしなければいけないのは、はてなブログくらいかもしれない。
だがそれ故に生まれるものもある(はず)。

1番角が立たないのは、自分のブログ内で言及して論じることかもしれない。
文字数を気にせず、好きなだけ論じられるというのも大きな利点である。
そう、この記事のように。

もちろん自分の日常の思いを書くのがブログの王道である。
細かいことを気にするのは、気にしたい人だけでいい。
軽く、気負わず、日常で感じたことを書けばいいのだ。
そういう日常の風景は、自分が思っている以上に喜ばれるかもしれない。
喜ばれるというのは、ただそれだけで嬉しくて楽しい。

多くの人が夏休みを過ごしているかと思う。
この機にブログを始めてみてはどうだろう。
読むのも、書くのも、どちらも楽しい。

*1:余談だが、ブログ云々問わず、やりたいことをしてその評価は他人に投げる、評価のために動かない、という生き方が幸せに繋がるのかなあと思ったりもしている。もちろん「自分自身の人生において」という限定付きで、である。どんな価値観であれ、他者に押し付けてはいけない(この価値観すら押し付けであるが)。 提示して、最終ジャッジは相手にまかせる。相手が誰であっても。