ようやくお盆休みに突入。
案の定最終日まで忙しいままだった。
最後の最後でものすごくイラッとさせられたりもして、休み明けも一筋縄ではいかない予感がしている。
が、とにもかくにも今日から休みだ。楽しいことにフォーカスしよう。
職場の仲間内で久々に飲み会をした。
ものすごく楽しかった。本当に。
だけどそれ以上に、みんなの優しさを感じた飲み会だった。
優しさってのは相手も自分も尊重することなのかもしれない
この飲み会で感じた「優しさ」というのは、恐らく「自然と周りに配慮する」というものだったように思う。
場の全員を見る、人の話をちゃんと聞く。誰かの独壇場ではなく、公平に光が当たるように。
当たり前のように聞こえるかもしれないが、普段「自分の言いたいことを言って、他人の話は聞かない」類の人が多いので、より心が動いた。
それも意図的なものではなく、身に染み付いている感じ。
かといって、嫌なことや必要のないことはしない。
提示はするけど、要不要は相手に一任して、押し付けがましいことはない。
逆に、求められても自分が嫌だと思うことは潔くやらない。切るところはすっぱり切るのだ。
当然だが、これができる相手といるととても居心地がいい。
言葉遣いとか態度が多少雑でも、その奥からきちんと伝わってくるから不思議なものである。
特になにもしゃべっていなくても、見ているとじわっと暖かい感じがする。
こういう人と結婚したいよね、ほんとに(笑)*1
久々にかっこいい人を見た。
本当に優しい人を大切にしたい
この記事でもちらっと書いたけど、自己犠牲が伴うようなものは「優しさ」ではなくただの「搾取」だと思っている。
本来義務などを除くことで行動の決定権(拒否権とか好みとか)を行使する側が持てないのはおかしいのだが、こういう倫理的・感情的なことになると「優しくしない=悪い人」となぜか評価を下げられることが多い。
まあ「冷たい」とか言ってくるのは基本的に他者のリソースに依存する傾向のある人なので、何と言われようが嫌な時は拒否したほうがいいとは思うが…*2
この増田、個人的にものすごく心配である。
世の中、無自覚に搾取してくる人の方が多いのだから。
相手が自分に対してどう接するか、それでこちらの態度も決めればいい。
逆に「優しくしたんだから評価(返報)しろよ」なんて暗に要求されることもある。
そういうときは「義理・恩義」とかいう言葉を使われることが多い気がする。
評価を一任しない時点で、これも搾取の1つの形であると思っている。
だが実際のところは、こうやって誰かに何かを強引に要求して生きるのが賢いのかもしれない。
人間関係をコントロールして自分の立ち位置を良くしていく、自分の望みを叶えていく。
実利の伴わない「優しさ」なんてものは、結局のところ貧乏くじを選んで引いているだけなのかもしれないと思ったりもする。
が、そういう生き方はかっこ悪いのだ、絶望的に。
意地とか矜持とか、そういう精神的なものよりも実利を選ぶことは、目先の利益と引き換えに大切な何かを捨てているのではないだろうか。
死ぬ間際、後悔はないんだろうか。
『シグルイ』のラストシーンが何となく思い浮かぶ。
「プライドが高い」というのは、えてして否定的な意味で使われることが多い。
そういう文脈で使われる「プライド」は、実はただの自信のなさの裏付返しである。
プライドが高ければ挑むし、きちんと背負う。
できないことを知られたくないが故に、他者に対して否定的、高圧的になるのだろうと思っている。
でも、それも仕方がない。だって人間だから。
どんな人だってそういう弱さは併せ持っている。見せるか見せないかだけの話である。
ただ私は、そういうものを見せない人の方に魅力を感じるし、尽力したいと思う。
働いて飲んで食って暮らす幸せ
こういう優しい人達と協力しあって何かを達成する。そして飲みに行ってバカ話。こんな楽しいことはない。
↑いいところで切れてる…もちろん周りにはいらっとさせる人もたくさんいるが、それすら楽しむためのエッセンスでしかないのかもしれない*3。
それを達成するのはもちろん仕事でなくても構わない。
実利が絡まない方がむしろ達成しやすい気もする。
結局私の求めるものは物や地位ではなく、そういう一瞬を繰り返し経験していくことなんだろうな。
高校の頃から変わっていない。そして多分これからも変わらない。
一生青いままか。まあいいけど(笑)
「目が死んでる」と称されがちなおっさんも、会社じゃかっこいいんだよな。マジで。