【所感】働きすぎを咎めるなら遊びすぎも咎めることになるんじゃなかろうか

そんなわけないっての

ここ最近、何かとあてにされることが多い。
仕事では気づけば実働部隊の主力になってるし、プライベートでは「〜作って」とか「〜教えて」とか。
先日のUSB案件もそう(ちなみに未解決です…)。
だから1週間通してほんとに時間が足りない。足りない。
精神と時の部屋があったら、まさに今が使い時だ。

こんな状態だから、当然「やりたいこと」と「やるべきこと」のバランスが崩れてくる。
頼まれごとをどうしても優先してしまう。
私のスプラトゥーンの立ち回りが一向に上達しないのはそのせいに違いない。
昨日と今日のフェス、何DEATHだよほんとに。ないわ。

ということで、それが何であれ過剰な労働は悪である。
そんなに時間がなくなるまで、疲れるまでやるべきではないのだ。
 
…なわけあるかーい! (╯°Д°)╯︵ ┻━┻
 

前フリ長くてすいません(笑)

んー、なんか例の炎上案件からモヤモヤしてるんだよねえ。
働くのって、そんなに嫌な、悪いことか?
あとコスパって何?
別に某記事への批判というスタンスではないので、思考の赴くまま論点ずれてくかもですが、まあ所感ということで。

何が違う?

「何かをする」という観点から言えば、労働も遊びも同義だと思うんだよな。
違うのは対価の有無か。
お金(など)のために何かをする=労働、行為そのものが目的=遊び、な感じ?

不思議なのは、『お金のために「嫌な(望まない)」何かをする』って変換されることよなー。
ある程度職種とか選んで働く場所を決めると思うんだよね。
よっぽどのドMじゃない限り、その時点で「嫌なこと」を選んでるわけじゃないはず。
なのになんでだろ?仕事が嫌(特に会社で働くことが嫌)ってなるのは。
嫌な業務がある、じゃなくて、働くことそのものが悪、みたいな扱いだし。

たとえば仕事で文章を書くのと遊びで文章を書くの、行動としては変わらない。
前者に時間を費やせば「社畜」、後者に費やせば「自由」(社畜の対義語がうまく出てこなかった。すまぬ。)

んー、腑に落ちない。

もちろんテーマについての選択権の有無があるってのはわかる。
けどきっとそれだけじゃないよね。

なんで会社で働くことのみ「社畜」と卑下するんだろう。
じゃあどういう形ならいいんだ?
フリーなんて、公私区別なくなってもっと長時間働いてる人いっぱいいると思うけど?
「昼、ゆっくりすれば、夜、脚疲れない」うん、これはその通り。
労働時間を短縮するって言いたいんよな?
でもここギリシャちゃうし(笑)

どういう労働形態を想像したのかはわからんけど、普通に働いて(ブラックじゃないという意味で)ても疲れるけどね?
そして、どうして疲れることは悪なの?

全力投球はいけないことか?

疲れるまで働くことは悪だ。

そーかな。そーなのかな。

確かに身体はしんどい、かもしれない。
無論心身壊れるまでっていうのはやりすぎだ。それは理解出来る。
でも、

「暇なお父さんとお母さんになった方が(時間確保の意味では)手っ取り早い」

いやいやいや。

それ、経済的に詰んでくパターンや。

ここだけは突っ込んでおきたい(読まれることはないと思うけど)。
子供がいて両親働いてないって、かなり過酷な環境になるの想像できんかなあ。
あと、親に時間があってもそれを子供に割かなければ意味がないし。
ついでに「アダルトチルドレンになる」とか、あまり軽々しく書かない方がいいと思うけどな。
そんな単純な要因でなるものではないっしょ。


では本題に。
私が聞きたいのは、「そのやり方で楽しい?」ってこと。
つまり、「没頭しないレベルで物事に取り組んで満足できるの?」ということ。

楽しいことしてると、ついついやりすぎちゃいませんか。
私なんか没頭したら平気で半日くらいやってる。ついでに睡眠時間も削っちゃう。
だからちょっと冷静になるとすごい疲れてたりする。
でもそれが嫌かっていうと、むしろ「楽しくて仕方ないぜひゃっはー!」な感じ(側から見ると怒ってるように見えるらしいけど)。
昨日今日もついスプラトゥーンのフェスに全力投球して眼精疲労で頭と耳が痛いっていう事態になりましたけれども、気分的にはものすごい充足感でいっぱいです。
今回はたまたまゲームだったけど、仕事でも同じことするよ?
で、同じように楽しくなってる。

こういうのは「生き急いでいる」って言うんだろうか。
それとも「瞬間を目一杯堪能している」のだろうか。

もちろん私は後者の解釈を選択する。
のんびりしたいときはのんびりするけど、基本は詰め込んであれもこれもやりたい。
生き急ぐっていうけど、体験できることに対して人間が持っている時間はあまりにも少ない。
私は欲張りだから、そういう機会損失は最低に抑えたいと思っちゃう。

浮いた時間やお金をどうするの?

何かを選ぶということは、それ以外の何かを選ばないということ(前にも書いた気がする)。
ミニマリズムっていうのは、既存の価値観(権力、貨幣至上主義)を選ばないことで、他の価値観を取り入れるという考え方だ。
再三言うけど、節約、コスパ、嫌物質、これらを単純に「ミニマリズム(最小主義)」という名から導き出すのは違う。
上記の価値観を採用することは既存の価値観の採用に他ならない。
節約やコスパ重視なんて「お金を使うことを良しとしない=お金大事」だし、嫌物質主義なんてのはモノの存在感を認めているという前提がないと成り立たないはずだ(=モノは重要)。

元来のミニマリズムは、既存の価値観だけを至上とするのではなく、それ以外の価値観も一度同じ土俵に立たせて比較した後、自分の好きな価値観を選択して幸せに生きるためのツールである。
だから考えた上で、コスパ大事にすれば幸せ!とかなるならいいけど、単にコスパ追求(とアフィリ)だけが目的となるのはミニマリズムではない。
特に権力・貨幣至上主義は、「いくら追求して成功しても幸せにならなかった」としているミニマリストが多いだけに、ミニマリズムの普及を謳う人が「コスパ最高」とか言ってるのはお門違いにも程があるとか思ってしまう。
(別に責めちゃいないし、例の呪文を唱えてスルーするだろうけど)

コスパ追求してさ、浮いたお金はどうするのかな?

ミニマリストは(おそらく)節約とは無縁だ。
欲しくないから買わないだけで、欲しければ買うと思う。
「幸福感」にフォーカスするなら、安い方で妥協するという選択はできないはずである。

で、コスパ追求してどーすんの?
他のモノ、買うの?

許される限り「今」に生きたい

なんかグダグダ書いちゃったけど、そもそものモヤモヤは「頑張ることへの否定」と「ミニマリストがコスト重視(=貨幣至上主義の採用)」から来てるっぽいですね。
そしてあの文体がとどめ(笑)


私は目の前ある今に集中して、コスパよりも自分が幸せになる物を選んでいこう*1と思います。
目下、脱出ゲーム作りたいのと新しい車!

*1:高ければいいってもんでもないし、安いからといって欲しい物を代替品で済ますこともしない