日付が変わる直前に片付けスイッチが入ってしまうとか。寝ろよ自分。
— がちゃまにあ (@gachamania21) July 10, 2014
そんなわけで不意に片付けを始めてしまったがちゃまにあですどーもおはようございます。
どうしてモノって増えるんだろう。
結構捨ててるはずなんだけど、まだまだいらんものが出てくる。
今回は机周りとクローゼットの中を整理しました。
使わない(愛着のない)道具、出てくる出てくる。
でも全部捨てきっちゃうのも違うかなーと。
どっちもあっていいんじゃない?
行動と道具
日常で避けることのできない行動ってありますよね。
例えば「書く」ことだったり「見る」ことだったり。
まあ行動自体は何でもいいんですが、それに道具を介在させることって多いと思うんですよね。
「書く」なら筆記具、見るならメガネとか。
自分の意思に関わらず避けられないことだから、役目を果たせば道具なんて何でもいいやという考えがある。
結果同じだしいいじゃん、みたいな。
効率、コスパ重視主義とでもいいましょうかね。
私は何か新しいことを始めるにあたってはこの考え方をとることが多いかな。
とりあえず必要な道具揃えてさっさと始めるぜー!ってなる。
それに対して、道具や方法にこだわって丁寧にするという方法もありますな。
雑誌で特集するような、「こだわり」とかの単語でイメージされるようなやり方。
私はああいうの憧れるけど、毎日は絶対できないなーと思う。
必要な行動に対してどういうスタンスを取るか、それが使う道具を決める。
書くのに必要なのは、販促のボールペンなのか万年筆なのか。
コーヒーのカップは紙コップか1点モノか。
どっち?
機会損失だったりして
前項にあげた2択、どっちが正しいとかではなくてただの好み。
「筆記具はどうでもいいけどコップはこだわる」とかもありかと。
ただ思うのは、どちらかに寄り過ぎてしまうことは何らかの「機会損失」になってしまうのではないかということ。
適当な道具で済ませる→好きな道具を使う楽しみを捨てる
こだわりの道具で丁寧に→他の好きなことをする楽しみを捨てる
ざっくり言うとこんな感じ。
販促でもらったボールペンで手帳に書き込むのは味気ないけど、回覧板のサインにわざわざ万年筆を取りに行って使うのも面倒。
カレーは作った方がおいしいけど、今日は本読みたいからレトルトで、とか。
要は「極振りは何かを捨てることになるよ」ってことです。それがどんなことであれ。
私はこだわりよりバランス重視派かな。
愛着は大事、だけど効率主義の便利さ自体も好き。
欲張りだから両方のおいしいとこ取りしたい(笑)
片づけしてたら使ってない道具がたくさん出てきたけど、一気に全部捨てるのはやめておきました。
何かが劇的に便利になって、QOL上がるかもしれないし!
存在を認識して1ヶ月間使わなかったら捨てようかな。
とか、夜中に思った次第でございました!