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noteで何をしたい?と自問自答してみた話

所感

近所のお風呂屋さんにいって電気風呂に入ったら、あまりの激痛に中腰のまま固まってしまったがちゃまにあです。どーもこんばんは。

先日こんな記事を書きました。
【今更】note始めました。 - がちゃまにあ日報

実は始めたのは4月10日、だからほんとに今更な記事だったんですけど。
ここ2週間、手探りで色々やったり、色々やってるのを見てみたり(コラボなんかも参加したかったんですけど、それはタイミング逃してできませんでした)。

使ってみての雑感と、思ったことを少々。

見るのはすごく面白い

noteの売りは、色々なクリエーターさんが集まるというところだろう。
絵、写真、音楽、映像、ジャンルもテイストもとにかく人の数だけある。

コミュニケーションもとりやすいと感じる。
トークに対してコメントを付けることができるし(フォローが必要)、「いいね」の代わりとなる「スキ」ボタンというものもある。
見たものに対して、何かしらのアクションをするのは容易である。

他の機能に関してはまだまだ改善の余地があると思うが、運営さんの対応が早い(気がする)ので、どんどん便利になっていくのだろう。

だから、「他の人の作品を見て刺激を受ける」という点ではnoteはすごく楽しいし役に立つ。
noteのおかげで「何かを創り出す」ということが日常に自然と組み込まれるようになった。
多分私の原点はそういうところにあるので、このことは本当に幸せだしありがたいことだ。

noteのもやっとポイント

そもそもこのnoteは、「クリエーターとユーザーをつなぐ」というコンセプトだ。
簡単に売買をする仕組みもあるし、クリエーターとクライアントをつなぐと言った方がわかりやすいかもしれない。
マネタイズを目指すのはむしろ正しい使い方なのだとは思うのだが*1、それが前面に押し出されると、何か本来の意図とは外れてしまうような気がするのだ。

リエーターってなんだ。
「売りたい(価値を評価して欲しい)物がある」のか、「能力の切り売り」なのか、どっちなんだ。

付いてる値の大半が100円だから、余計にそう感じてしまう。
控えめというよりは、投げ売りっぽい感がどうしても否めないのだ(「投げ銭」「TIP」の設定を意図しているからだと思うが)。

「必要だから買う」のではなくて「作ったものに対する評価」として対価を払う。
この流れができてくれたら面白いと思ったけど、現状それは構築されていない。
お金でダイレクトに謝意などを表すというのは、「清貧」が曲解されてお金が「汚いもの・良くないもの」なイメージがある日本ではやはり難しいのだろうか。

お金が動くのは「アイコン作ります」「デザインします」とか、相手の要求に対して応えるスタイルが多いようである。
これでは「クリエーターとクライアントをつなぐ」であって、「ココナラ」とかとそう変わらないのでは?と思ってしまう。

そしてコンテンツは「デジタル」(で表現できる言葉・絵・写真など)限定である。
例えば「この絵欲しい!飾りたい!」と思っても、画面から取り出すことはできない*2
今っぽい、けどちょっと物足りない気がするのは私だけだろうか。

私はnoteで何をしたいのか?

何気なく始めたnote。
色々な人が色々なことを書いていて非常に面白い。
このまままったりクリエーターの集まるSNS的な立ち位置で使ってもいいのだけれど、折角自分も作る側にいるのだから、これからnoteでどうしたいのかを考えてみた。

私が求めるのは、「誰かに求められたものを作るのではなく、私の作ったものが誰かの心を動かし、結果としてマネタイズされる」こと。
マネタイズのために動くのではないらしい。

考えた割にありきたりなところに落ち着いてしまった感は否めない。
作る人なら、多分誰でもこう思っているはずである。
思っていても、自分の作ったものに対して価値を与えられない。価値は周りが与えるものだという認識から抜けられない。結果投げ売り。
それはいい加減やめようと思った。

色々御託を並べたが、やることは「自分が好きなものを作ること」で、それは今までと何も変わらない。
あとこれだけは言っておく。私はなんだかんだ言ってもnoteが好きだ。
と、最後にデレて終わっておくことにする。

*1:技術に対しての対価が低い、そういうクリエーターさんたちの現状を打破するかもしれないサービスなのかも。本当は「作る」ってすごいことだ、それが何であれ。

*2:できないこともないだろうけど、既成の画集のようなクオリティにはならないだろう。