アンチ腐女子を煽動するアフィブロガーと、ゴキ腐リの提唱者「罵詈」 - hompig
この記事にコメントをしてみた。
まあほんとに大したことは書いていないのだけど、
最初にコメントを残した人(以下 1さん)があんまり偏った見方だったので、やんわりとそんなことしなくてもいいんじゃない?と言ってみた。
(あ、1個「婦女子」になってる。恥ずかしい)
他にも1さんに対して否定的なコメントをしている人がちらほら。
そんな中、「釣られるなという記事なのにコメントに釣られている人がいる」というコメントが。
面白いなーと思ったので、ちょっと考えてみることにした。
(時間がたって、コメント欄がさらにゴタゴタし始めた。)
「釣る人」
「釣る人」というのは、要は「反応が欲しい」わけだ。
だから過激で、独善的な発言をする。
肯定的な反応より、否定的な反応を引き出すほうが簡単だからだ。
炎上なんかがまさにいい例だと思う。
(実際にこのコメント欄のやり取りが「釣り」であったと断定するわけではない。)
私は「釣り系」の文章を書く気がないのでわからないが、これはこれで楽しいようである。
どうやら自分の想像通りのコメントが付くのが快感らしい。
それは「他人を思い通りにしてやったぞ」という優越感なんだろうなあと推測する。
「話題になる=注目される」というのも大きなメリットだろう。
こういう精神的なメリットだけではなく、釣りをすることによって経済的な利益を得る者もいるらしい。
(それについては記事内にすごくわかりやすく書いてあるので是非読んでください)
「釣られる人」
「釣られる人」これは釣りコメントに対して否定的な発言をする人、と考えていいだろう。
一般的に「釣られている人はその自覚がない」と言われる。
記事中にある「ゴキ腐リ」の件で、この単語を使うの腐女子方々に「煽動されていないか?」と警鐘を鳴らしている。
これはつまり、釣られる側は「自覚がない」と認識されていることを示している(証拠はないが、恐らく一般的にそう思われている気がする)。
果たしてそうなのだろうか?
「釣り」だとわかっていて敢えて「釣られる」、ということはないのだろうか。
「釣られる人」は義憤に満ちたコメントを残す。
とにかく「そんなの間違ってる!!」という意思を伝えたいのだ。
スタイルは人それぞれで、私みたいにぬるく書く人もいれば、ものすごい熱量を込めた文章を残す人もいる。
でも、画面の向こうにいる人が文章どおりの感情を抱いているとは限らない。
無自覚な人がたくさんいるのも事実だとは思うが、案外淡々としている人が多いのかもよ?
「釣りを指摘する人」
さて、この「釣りを指摘する人」のメリットは何だろう。
流れに水を差して読んでいる人に冷静さを取り戻させる、という意図なら良いが、
「うわ、こいつ釣られてるしw」みたいな優越感に基づいていることが多い気がする(邪推ならごめん)。
一見冷静な感じのするこの立場だが、実は「釣られている人」に釣られているということもある。
「釣られる人」がわざと「釣る人」と対極の立場を示し、論争(?)の様子を呈することで、
第三者の「うわ、こいつ釣られてるしw」の発言を引き出しているのかもしれない。
もしそうなら、この立場に立つことで得られている優越感というのは完全に崩壊する。
「釣られない自分って賢い」という自尊心を大いに傷付ける。
「釣りを指摘する人」というのは、実は一番もろい立場なのかもしれない。
文章の裏にある感情なんて一見しただけじゃわからないという話
と、ここまで散々嫌な感じで書いてきましたが(笑)。
お互いが「正論っぽい何か」で論理武装し戦う。
そしてそれを嘲笑しながら見る人もいる。
きっと三者三様の意図があると思うんです(それが意識的かどうかは置いといて)。
でも、ぶっちゃけわからないんですよね、読んでる側には。
一見明らかな「釣り」のように見える文章すらも、それを意図的にやっているのかわからない。
釣りなのか本音なのか、真実はその本人しかわからないわけです。
ということは、「釣り」なのかどうかを決めるのは、完全に読み手の判断に委ねられます。
「釣り」を意図して書かれた文章でも、「釣られる人」が「釣り」だと思わなければ「釣り」にはならないのです。
発信者側の真意が「釣られる人」にわかることはないから。
「釣る」人も同じで、相手がわざと釣られたフリで書いていたとしても、「やった釣れたw」と喜べばいい。
だってどういうつもりで書いたかわからないもの。
「釣りを指摘する人」も一緒です。
両者の真意がどうであれ、「釣りに引っかかってるしw」と思えばいい。
でも。
なんかむなしくないすか?こういうの。
釣るも釣られるも、そしてそれを指摘するのも、結局「自己満乙」の世界な気がします。
ま、ネットなんてそんなものと言われればそれまでなんですけれども。
それなら書かれていることを額面通りに受け止めて、それに対して発信したほうが面白いんじゃないかなあ。
そういう「素直さ」って、恥ずかしいものなんですかね?
とはいえ、考えずに煽りに乗っちゃうのは違いますね。
ストレートに感情をぶつければいいという考えは、やはり恥ずかしいものだと思います。
その辺の匙加減が難しい。
本日も長々と失礼しました。
部屋が寒すぎるのでここらで退散します。